始まりは、次にあるTogetterのまとめでした。――あ、具体的な描写はほとんどありませんが、一部で性的な内容にちょこっと抵触しているので、苦手な方はご注意を。
多くの人びとの記憶に残るコピペで語られるアダルトビデオが、現物が発見されないために長年、架空のものなのでは? と疑われていたのが、ここにきて該当する作品が発見された、という、それ自体はちょっとした感動すらある内容です。そもそもこういう話は大好きだ。
しかし、私自身はこのコピペ自体が初見で、この文章そのものの内容的密度に感心してしまった。飯盒炊爨、という本来の表現を知っているのに、それを知らない周囲の大多数から馬鹿にされ、ご丁寧にもテロップで否定される。AVの現物は見てませんが、その後痴態に発展していくのも確実でしょう。正しい表現を使った側が、それを知らずにバカにした人びとに喘がされてる光景は、言いようのない哀愁がある。仮に完全なる創作だったとしても、やけに感情を揺さぶられる見事な小噺に仕上がってる。
上記のまとめのなかには、この話に触発されて、《丁字路事件》を思い出した、という言及もある。
こちらは私もその瞬間を目撃して、モヤッとした記憶がある。お笑い芸人を中心とした街ブラロケのさなか、道を訊ねた年輩の方が“てい字路”という表現を用いて説明したところ、芸人達は「《T字路》だろ」「《てい字路》が気になって頭に入らなかった」などとイジっていた。リアルタイムであったか、は不明ですが(ネットでの引用を観たのかも知れない)、私も当時、非常にモヤッとした覚えがありますし、後日、毎回視聴している『ブラタモリ』で《丁字路》という表現を普通にしていたのに笑ってしまった覚えもある。
飯盒炊爨の1件もそうですが、関わった人間にもう少し、正しい知識を持つ人間がいれば、扱いは変わったでしょうし、現場で勘違いに基づいたひと幕のまま終わったとしても、編集でカットする、テロップで訂正する、といった対応が出来たはず。現場にはそれなりにちゃんと勉強をしてきたひとがいたでしょうに、この誤解がまるっと見過ごされている状況が、傍目から遣る瀬ない。その結果、どちらも数年越しでネタにされてしまう、というのも――果たして、前述のAVの制作者たちはこのことを知っているのか。街ブラロケでさんざん年輩の人をイジった陣内智則はいまどう思ってるのやら。
そんなことをぼんやり考えていたせいなのか、今日はやけに文字の問題が引っかかってくる。
今日単行本の最新刊が発売された『コワい話は≠くだけで。』を読んだら続きが気になり、ネットで配信されている連載最新話を読んだのです。
問題は11ページ(スクロール5回目)、左側ページの3コマ目の振り仮名です。
……“佇立”って、“ちょりつ”だよね。或いは“ちょりゅう”。これで“きつりつ”と読むパターンは、少なくとも私は心当たりがないし、ATOKの変換も、前述ふたつの読みはちゃんと候補として打ち出すけど、“きつりつ”は“屹立”しかない。
もちろん、たんなるうっかりミスか勘違いだ、ということは解っている。他でも言及されたら、印刷媒体ではもう単行本まで待つしかありませんが、ネットに掲載されている分は修正されるでしょう。でも、前述している2件が心に引っかかっているせいで、もう気になって仕方ない。
挙句、こんなんにまで引っかかってしまう。
きのう、正式発表となった広井王子&藤島康介という『サクラ大戦』布陣の最新作についての記事。検索して出てくるすべての記事が、作品タイトルの表記を
『東京大戦』
としている。でも、記事中に引用されている写真に見えるロゴは、どう見ても
『東亰大戦』
なのです。
“亰”は京のいわゆる異体字で、明治初期には“東亰”という表記が新聞などで実際に使われていましたがほどなく現在の“東京”に統一されていった。これをあえて“東亰”とするのは、『サクラ大戦』における元号が“大正”ではなく“太正”としていたように、現実と似ているけれど異世界、と主張するようなこだわりがあってのことでは、と思われるのですが、果たして広井氏はこの『東京大戦』という表記を受け付けているのだろうか。当の広井氏は発表当日、体調不良で居合わせなかった、とのことですから、本当にその辺、主張する機会がなかったのではなかろうか。
まあ、ぶっちゃけこの“亰”の字は入力しづらい。普通のIMEでは検索候補のだいぶ後ろのほうにありますし、そもそも真ん中に横棒が入る“亰”の字を知らないひとのほうが多いからだろうな、とは思う……でも、まがりなりにも記者なら正確を期すか、確認を取る努力はしてくれんかなあ……。
……すべて今日1日の体験である。もうお腹いっぱいだ。
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