『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

新宿ピカデリー、スクリーン9入口のデジタルサイネージに表示されたポスター・ヴィジュアル。
原作:こうの史代(双葉社・刊) / 監督、脚本&音響演出:片渕須直 / プロデューサー:真木太郎 / 企画:丸山正雄 / 監督補&画面構成:浦谷千恵 / キャラクターデザイン&作画監督:松原秀典 / 美術監督:林孝輔 / 色彩設計:坂本いづみ / 動画検査:大島明子 / 撮影監督:熊澤祐哉 / 編集:木村佳史子 / 音響効果:柴崎憲治 / 録音調整:小原吉男 / 音楽:コトリンゴ / 声の出演:のん、細谷佳正、岩井七世、花澤香菜、尾身美詞、稲葉菜月、牛山茂、新谷真弓、小野大輔、潘めぐみ、小山剛志、津田真澄、京田尚子、佐々木望、塩田朋子、瀬田ひろ美、たちばなことね、世弥きくよ、澁谷天外 / 製作統括:GENCO / アニメーション制作:MAPPA / 配給:東京テアトル
2019年日本作品 / 上映時間:2時間48分
2019年12月20日日本公開
公式サイト : https://ikutsumono-katasumini.jp/
新宿ピカデリーにて初見(2020/02/06)


[粗筋]
 昭和9年、まだ8歳だった浦野すず(のん)は、風邪を引いた兄・要一(大森夏向)に代わって広島へと使いに出る。道中うっかりと眠りこけてしまったすずは帰宅後、夢うつつの仲で体験した出来事を、ひとつ年下の妹・すみ(潘めぐみ)に語って聞かせる。そのときすずは、不思議なバケモノと遭遇していた。
 それから数年、引き潮の海を渡って祖母の家を訪ねたとき、すずは屋根裏に暮らす少女を目撃する。皮だけになったスイカを貪る彼女に、実のついたスイカを用意しながら、あれはきっと座敷童子なのだろう、と思っていた。
 幼少の頃から絵を描くのが好きだったすずは、学校でも絵の評価は高い。その代わりに鉛筆の減りは早かった。ちびた鉛筆を丁寧に削っていたすずは、同級の女子たちから「近づかない方がいい」と囁かれる乱暴者の水原哲(小野大輔)に絡まれた拍子に、教室の床に開いた節に鉛筆を落としてしまう。いっとき水原に対する苦手意識を募らせたすずだったが、間もなく催された写生教室で、黙って海を見つめる水原を目撃する。海軍に入ってすぐに死んだ兄を巡り、家庭が険悪な状況にある水原の悩みを知ったすずは、彼に代わって、ウサギのように跳ねる波頭をあしらった海を写生した。
 すずが18歳になった頃、兄の要一が兵隊に取られた。厳しい兄からしばらくは叱られずに済む、と少しだけ安堵した矢先、すずのもとに降って湧いたような縁談が舞い込んだ。相手は軍港のある呉に暮らす北條周作(細谷佳正)という。以前、偶然に出逢ったすずを見染め、結婚相手として捜し回っていたという。
 そうしてすずは嫁ぎ、北條すずとなった。ぼんやりとした性分のすずは、突然の環境の変化に戸惑いながらも、どうにか順応しようと努力する。海軍工廠に勤める義理の父や、脚が悪く家事の手助けを望んでいた義理の母はすずを暖かく迎え入れたが、すずの結婚後間もなく北條家に帰り居ついた義理の姉・黒川径子(尾身美詞)はやたらとすずに厳しかった。
 自分の居場所はここでいいのだろうか、とすずが惑ううちにも時は流れていく。ある日、使いに出たすずは、思案しているうちに道を誤り、花街に辿り着く。みな道を訪ねても要領を得なかったが、ただひとりまともに応えてくれたのが、白木りん(岩井七世)という遊女だった――


[感想]

 監督・片渕須直が情熱を傾け、2016年に発表するや、高い評価を受けた『この世界の片隅に』だが、製作費や尺の都合により、省かれたシーンが幾つか存在した、という。想定を超えた大ヒットと、オリジナル制作時にも活用したクラウドファンディングの助けもあり、それらのシーンを新たに追加したのが本篇である。
 そういう作りなので、粗筋は基本、オリジナルと変わらない――なので粗筋は「オリジナルを参照してね」で済ませようかとも思ったが、しかし内容を整理すると、この追加シーンがことのほか無視できない。なるべく追加した箇所が解り易いように、新たに書き起こすことにした。
 作品の本質的な主題はオリジナルから変わったわけではない。しかし、場面を追加したことで、本篇には生臭さ、艶めかしさが増した。ポイントは、ヒロイン・すずの女性的な感覚、意識を掘り下げたことにある。
 追加したいちばん最初の場面は、水原哲初登場のくだりだ。オリジナルでは写生教室のさなか、他の生徒から離れたところで海を眺めていた水原とすずが出会う場面が彼の初登場だったが、本篇はその前に、すずにちょっかいをかける憎たらしい同級生として顔を見せる。オリジナルだと水原は家庭環境に悩みを抱え態度が粗暴になっている、ということが初登場段階で明白にされてしまうが、本篇ではまず、女子たちに忌避される粗暴な一面そのものを描いている。そうすることで、一人でいる場面での穏やかさ、不器用な本質が際立ち、すずのなかで水原という人物が強く印象づけられたことが解る。オリジナル版だと、縁談を持ち込まれたすずが水原からの持ちかけだと誤解したり、再会のときに危うい雰囲気になるくだりに些かの唐突さが拭えなかったが、この追加場面がひとつ加わっただけで、違和感がなくなっている。呉に嫁ぐまでのすずにとって、水原は女性として強く意識してしまう存在だったのだ。
 そんな水原以上に人物像、更にはエピソードまでが引き立てられたのが、白木りんである。
 オリジナルではきちんと登場するのはワンシーンのみ、しかしすずの言動もあって奇妙に印象は強かった。だが、本篇を鑑賞すると、“女性”としてのすずに彼女が与えていた影響、存在の大きさが明快に解る。
 オリジナルを制作している時点から監督の頭の中には、作品が成功した暁に一連のシーンを蘇らせる構想があったのだろう、オリジナルには本篇で繋がる描写、伏線が鏤められていた。もしオリジナルの内容を確認出来る素材がある、或いは細かなところも記憶している自信がある、という方は、本篇を鑑賞すると腑に落ちる場面が多々あるはずだ。
 そうしてオリジナルよりも大きくなったりんの存在は、必然的にすずに、女性としての苦悩や困惑を招き、ネガティヴな思考を引き起こす。2016年版ではすずのりんに対する心情が、同郷でありながら対照的な人生を歩んでいることへの罪悪感も入り交じったものと読み取れるが、実際にはそれどころではなかったのかとてもよく解る。少し状況が違えば、ラストシーンで北條家にいたのはりんだったのかも知れないのだから。
 水原との経緯も併せて、こうした事実や出来事は、2016年版でも描かれていた、すずの抱く“場違い”という感覚を膨らませている。もともと北條家とは縁もゆかりもなかったが故に抱いていた感覚に、途中から北條家に戻った姑・径子とのギクシャクした関係、そしてクライマックスですずの郷里を襲った出来事がもたらす罪悪感。それらが、水原やりん、そして誰よりもすずの夫・周作という存在を介して、すずの感情をより激しく掻き乱す。
 この物語の肝を、ひとりの女性の目線から第二次世界大戦、そして広島を襲った悲劇と、それを乗り越えていく姿に求めるなら、2016年版で充分に達成している。むしろ本篇で描かれた部分を夾雑物と捉えて、オリジナル版のほうを高く評価する向きがあってもおかしくない。
 しかし、もともと監督が(残されたままの伏線からも明白のように)織り込みたかったであろう要素を改めて組み込んだ本篇は、作品世界に奥行きを増すと共に、すずという人物により真に迫った肉体を与えている。


関連作品:
この世界の片隅に
好きになるその瞬間を。 ~告白実行委員会~』/『アラーニェの虫籠』/『Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!』/『ポッピンQ』/『ペンギン・ハイウェイ』/『メリダとおそろしの森
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