剣と薔薇の夏

剣と薔薇の夏 『剣と薔薇の夏』

戸松淳矩

判型:四六判ハード

レーベル:創元クライム・クラブ

版元:東京創元社

発行:2004年5月25日

isbn:4488017002

本体価格:2800円

商品ページ:[bk1amazon]

 第58回日本推理作家協会賞を受賞した歴史ミステリ。

 1860年奴隷制度を巡り南北分裂危機のさなかにあったアメリカは、時ならぬお祭り騒ぎに湧いていた。二年前に日米修好通商条約が結ばれた際の約束により、遥か東の果ての国・日本から使節団が来航、各地を歴訪していたのである。訪問地でのお祭り騒ぎは次第次第にエスカレートし、最終的な目的地ニューヨークでは異常な騒ぎとなっている。未知の国に関する情報を新聞各紙が競って報じ、正確不正確を問わず様々な日本製品もどきが誌上を賑わせるなか、一方で奇怪な連続殺人が発生する。最初の犠牲者は暗黒街に顔の利く悪党ランポーナ、第二の犠牲者は株式仲買人のジョゼフ・ジョーダン――一見なんの繋がりもなく、殺害方法も大幅に異なるふたりの死は、折しもニューヨークに到着する間近であった日本使節団との関連を匂わせていた。使節団関連の報道に忙殺されるアトランティック・レヴュー誌の記者ウィリアム・ダロウたちは、思わぬ事情から警察とは別のルートでこの事件の調査に乗り出すこととなる……

 諸般事情からなかなか読み進める時間が得られず、都合二ヶ月半ほどを費やして読んだが、それは決して退屈だったからではない。重厚かつ繊細な文章ゆえ、なるべく集中して読みたいという意識があったのだが、たまたまそういう機会がなかなか得られない時期に重なってしまったからである――そのうえハードカバーで五百ページ近くあるものだから、到底寝っ転がって読むという真似が出来なかったせいもあるのだが。これから読もうという方は無理にハードカバーを探さず、下に記した文庫版を手に取ることをお薦めする。

 解説には、装画を描かれた方が翻訳小説と早合点した、というエピソードが記されているが、私が読んでいるあいだずっと感じていたのもまさにそのことだ。微に入り細を穿つ情景描写、子細に綴られたアメリカの社会史など、まるでアメリカで生まれ育った人間が、身に染みついた知識を駆使して執筆したようにさえ錯覚する。これほどの精確さを得るために、いったいどれほどの資料に当たったのか想像すると、それだけで頭の下がる想いがする。

 物語は日本使節団がニューヨークに到着するまでの関係者及び新聞各社の奔走ぶりと到着後の紆余曲折と並行して、殺人事件に関連した描写が中心となり、更に時折“地下鉄道”と呼ばれる黒人奴隷の脱走を支援する組織を巡るエピソードが挿入される。日本使節団とその歓迎委員会の人々とが一連の殺人事件にどのように繋がっていくのか、という興味を煽る一方で、“地下鉄道”と本筋とがどのように絡んでいくのかが終盤まで掴めず、二重に読者を引っ張っていく。

 終盤近くまで誰が探偵役となるのかさえ解らないままに謎だけが積み重ねられていくが、ラストではこの長大な描写に秘められた無数の伏線を拾い集めて見事な着地を披露する。途中に密室まで登場する歴史ミステリであることから初版帯にはディクスン・カーを引き合いに出しているが、私の印象ではあまりカーのそれと一致するところは少ない。カーのような外連味はないし、密室殺人に対して出される答は、論理的であることは疑いなくとも、カーを引き合いに出して普通に期待されるものとは異なる。だが、似ていないことは欠点となるどころか、その路線を踏襲しつつもきちんと自らのスタイルに消化して物語を構築していく成熟した手腕を感じさせる。期待していたものと異なるとはいえ、その決着が齎すカタルシスも充分だ。

 個人的には解決編をあのような手記の形式にせず、人物同士の意見交換というかたちで動的に提示して欲しかった、という気はするが、あとはまったく間然するところがない。その犯人像と、異様な事件の果てとは思えぬほど穏やかで美しいラストシーンは長く記憶に留まるだろう。

 重厚な手応えに、衝撃的でありながら静謐ささえ漂わせる結末と豊かな余韻。協会賞受賞も大いに納得のいく大傑作である――今更こんなことを書いてもあんまり気恥ずかしくないくらいに。

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コメント

  1. ayalist より:

    こんにちは。『剣と薔薇の夏』を読んでいらしたんですね。私も一ヶ月以上かかってちょっとずつ読んでいましたが、その間とても幸せでした。文庫の表紙は今初めて見ましたが、だいぶイメージが変わったんですね。しかしまあ、こんなに早い文庫化は初めてなんじゃないかしら東京創元社(笑)。

  2. tuckf より:

    あまりに重いうえ、電車などで読んでいると本を傷めそうでしたから、あれへこれへと浮気したりしているうちに時間ばかりが経ってしまいました……じっくり読む価値のある作品だと思いますが、しかしやっぱり二ヶ月強はかけすぎでした。
    文化のコントラストを描き出しているハードカバー版に比べて、文庫版は物語の重厚感を反映したような印象ですね。作風を察して買う人が多いだろうハードカバーとはちょっと別の層を狙ったのかも知れません。ちなみに文庫版も買う予定――それゆえに先に読んでおきたかったんですけどー。

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