摩天楼の怪人

摩天楼の怪人 『摩天楼の怪人』

島田荘司

判型:四六判ハード

レーベル:創元クライム・クラブ

版元:東京創元社

発行:2005年10月31日

isbn:4488012078

本体価格:2857円

商品ページ:[bk1amazon]

 1969年、マンハッタン。ブロードウェイの至宝であった大女優ジョディ・サリナスが74年の生涯に幕を下ろそうとしていた。だが最期の夜、彼女は死の床から衝撃的な告白をする。1921年に発生した大停電の夜、ジョディは銃で人を殺した、というのだ。しかしその晩、彼女はセントラルパーク・タワー三十四階にいたことが証明されており、対して被害者は一階にいた。ジョディが場を離れたと考えられるのはほんの十分程度――エレヴェーターも制止するなか、頑強ではない女の足で往復するのは不可能なはずだった。だがそれでも彼女は自分が殺したのだと断言する。この謎が解けるかしら、助教授――縁あって臨終に居合わせ、挑戦状にも似た遺言を残される格好となったのは、当時コロンビア大学助教授として在籍していた御手洗潔第一次大戦後のセントラルパーク・タワーを舞台とした幾つかの異様な事件と、その背後にちらつく“怪人”の影に、御手洗は如何にして立ち向かうのか……?

 著者特有の都市に対する拘りに『オペラ座の怪人』のエッセンスをまぶし、本格ミステリとして調理したら、あら不思議、江戸川乱歩が出て来ました。

 年々色々なことを言われるようになってきているが、島田荘司という作家が並び立つ者のない“豪腕”の持ち主であることを否定する人はいないだろう。およそ常軌を逸した謎とほとんど強引なまでのトリックを、物語の基底にまで浸透させ読者を幻惑しねじ伏せてしまう手腕を備えている書き手など、彼を除いて存在しまい。

 本書もまた、そういう意味で極めて島田荘司らしい魅力に溢れている。冒頭から舞台の精細な描写があり、異様な謎が提示される。章が改まると今度は事件が実際に起きた当時の視点で文章が綴られ、一気に1916年へと飛ばされる。濃密な時代描写と、グロテスクながら蠱惑的な犯行の様相によって、瞬く間に作品世界に引きずり込まれてしまい、容易に抜け出せない。他のもっと研ぎ澄まされた文章を繰る書き手であれば、これほどの紙幅を費やさなくても済むような気はするのだが、読む側にこうも分量を感じさせない力量もまた著者ならではのものだろう。

 率直に言って不満は多い。都市に関する蘊蓄や、その変転する姿を活写する筆捌きは素晴らしいが、その分人物像が疎かになっている感がある。本格ミステリはあくまで謎が主役ゆえ、人物描写などさほど際立っている必要はないと私も普通であれば考える方だが、本書には全体に乱歩の通俗ものにも近い冒険の風味が備わっており、特にクライマックスでの動的な描写を思うと、他のキャラクターは兎も角、語り手と御手洗潔の性格や雰囲気はもっと明瞭に描き出されて然るべきだった、と感じる。その辺が疎かになっているため、終盤の絵解きの部分でいささか輪郭がぼけてしまった。

 また、描写にも事件そのものにもいささか無駄な箇所が多かったのが気に掛かる。セントラルパーク・タワーを魔物の跳梁する舞台として相応しいものに感じさせる潤色として用意されたのは察せられるが、それでも本筋と関わりないものを終盤まで引きずっておいて、終わる手前で「大して意味はない」とされてしまっては、屋根の上に昇ったところでいきなり梯子を外されたような心持ちになる。同様に、恐らくミスディレクションとして挿入されたであろう描写についても、その後の説明(釈明)がないのでどうにも座り心地の悪さが取れない。ラスト、怪人によって説明される現代(1969年)の事件の真意にも、同情よりも嫌悪感を募らせる結果に陥っていることが気に掛かる。

 しかし、謎めいた空気の演出、読み手の興味を逸らさぬ文章力、そしてある謎の解明が齎すカタルシスの強烈さなど、欠点と同様に傑出した点が多いのも事実だ。多くの欠点が形作る歪さそのものが、謎と物語とをより魅力的に飾り立てている側面も否定できまい。

 本編の場合特に強烈なのは、大女優によって提示された不可能犯罪の謎よりも、やはりセントラルパーク・タワーそのものが秘めた謎と、“怪人”の正体であろう。600ページに及ぶ大部をまったく苦にさせることなく、それに匹敵するカタルシスをきちんと用意している、そのことだけでも本書は充分に優れたエンタテインメントである。

 なお、既にあちこちで言われていることだが、本書に挿入された図版はそのままある“仕掛け”の説明となっているため、決して読み始める前に眺めないように注意願いたい。まあ、本文の説明なしにその真意を一目で理解できるのは、相当特異な読み手ではあると思いますけれど。

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