『レスラー』

『レスラー』

原題:“The Wrestler” / 監督:ダーレン・アロノフスキー / 脚本:ロバート・シーゲル / 製作:スコット・フランクリン、ダーレン・アロノフスキー / 製作総指揮:ヴァンサン・マラヴァル、アニエス・メントル、ジェニファー・ロス / 共同製作:マーク・ヘイマン / 撮影監督:マリス・アルベルチ / 美術:テオ・セナ / 編集:アンディ・ワイスブラム / 衣装:エイミー・ウェスコット / 音楽:クリント・マンセル / 音楽監修:ジム・ブラック / 主題歌:ブルース・スプリングスティーン(Sony Music Japan) / 出演:ミッキー・ロークマリサ・トメイエヴァン・レイチェル・ウッド、マーク・マーゴリス、トッド・バリー、ワス・スティーヴンス、ジュダ・フリードランダー、アーネスト・ミラー、ディラン・サマーズ / プロトゾア・ピクチャーズ製作 / 配給:日活

2009年アメリカ、フランス合作 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:太田直子 / R-15

2009年6月13日日本公開

公式サイト : http://www.wrestler.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2009/06/16)



[粗筋]

 1980年代末、マジソン・スクエア・ガーデンで、プロレスリング史に刻まれる名勝負が繰り広げられた。ランディ・“ザ・ラム”・ロビンソン(ミッキー・ローク)と“中東の獣”アヤトッラー(アーネスト・ミラー)による戦いは、未だファンのあいだで語り草になっている。

 しかしそれも昔の話だった。20年を経て、ランディは今もリングに上がっている。しかし華やかなりし日は遙かに遠く、既に身も心もボロボロにすり切れていた。

 週末はドサ回りのような興行でメインイベントを務めるが、客の入りは悪くギャラは少ない。生活を支えるために平日はスーパーの在庫管理を手伝っているが、それでもトレーラーハウスの家賃が払えず閉め出されることもあった。

 興行がいい収入を上げたときは、少しだけ奮発する。家賃を払い、根元が黒くなってきた髪を染め直し、馴染みのストリップ・バーへ赴く。彼同様に年季を経て盛りを過ぎたストリッパー、キャシディ(マリサ・トメイ)との交流は、すり切れたランディの心を癒してくれる貴重な時間だった。

 自らの為してきた悪行の辻褄を合わせてきた、つもりだったランディだが、しかしある日、本当の意味でツケを払うことになった。ネクロ・ブッチャー(ディラン・サマーズ)というダーティな見せ場を持ち味とするレスラーと激しい流血を伴う試合を済ませたあと、ランディは控え室で突然昏倒する。目醒めたとき彼は病院にいて、その胸には大きな手術跡が残っていた。

 ランディは、心臓発作を起こしたのである。バイパス手術を施され、日常生活に支障のない状態には恢復する、という話だったが、プロレスへの復帰は? というランディの問いに、医師は首を振った。

 やがて退院したランディは、改めて自らの人生と向き合うことを余儀なくされる。見まわしてみれば――本当に、何も残っていなかった。

[感想]

 序盤から印象的なのは、カメラが基本的にミッキー・ローク演じるランディの背中を主に追っていることだ。

 輝かしい日々をポスターと当時の中継の音声のみでダイジェスト風に描いたあと、最初に登場するのは、控え室の椅子に座り項垂れるランディの、疲れきった後ろ姿である。それから今の家であるトレーラーハウスに向かい、閉め出されてしまったのに気づいて管理人室のドアを叩き、反応がないために悪態を吐くと、移動に使ったワゴンのなかで眠りに就く。この流れの8割方が、ランディの後ろ姿を中心に描かれている。

 他にもマリサ・トメイ演じるダンサーのキャシディ、そして粗筋のあとでようやく登場する、エヴァン・レイチェル・ウッド演じる娘のステファニーが、彼女らの視点で話が進んでいるときに限り後ろ姿を追われているが、観客が多く目にするのはランディの背中だ。このことが、観る側に登場人物を身近に感じさせている。

 そうして至近距離で眺めるランディの生き様は、観ていて切ない気分にさせる。家もなく支えてくれる家族もなく、生活に疲れ切っている。スーパーでは客にレスラーだと気づかれまいとするように裏方の仕事に就き、サイン会では故障した仲間たちが客の訪れもなく退屈そうにしているのを苦しげな眼差しで見つめる。中盤以降、初めて生活を見直そうとフルタイムで働くことを進言すると、与えられた持ち場は総菜売り場で、不得手だと思っていた接客にも全力で挑まねばならない。

 だが、実際に観ていると、悲愴感よりも滑稽な印象のほうを強く受ける。ランディ本人が現状を“自業自得”と捉えており、ユーモアでもって受け止めているからだが、この役柄を、ある意味でまったく同じ境遇にあり、散々それを揶揄されてきたミッキー・ロークが演じているせいもあるだろう。観る側にそういう知識があれば尚更であるし、仮になかったとしても、実感を伴ったミッキー・ロークの演技の説得力は著しい。

 監督はじめスタッフは、本篇の主役にミッキー・ロークを起用しようと躍起になっていたが、一時期の活躍ぶりが嘘のように、ちょい役や脇役中心になっていた彼を使うことにスタジオ側は難色を示したという。それでもミッキー・ロークに拘った監督たちは、スタジオ側から提示された製作費削減の要求さえ呑んだそうだ。しかし、完成したものを観れば、その想いは正しかった、と頷ける。自身が華々しい活躍の日々から一転、長い低迷期を経験しているだけに、役柄への嵌り方は尋常ではない。娘に向かって「自業自得だが、嫌われたくない」と涙する姿、リングの上に立ったときの活き活きとした挙措など、やはり本人の経験が裏打ちする部分が大きいはずだ。

 そしてもうひとつ、ミッキー・ロークの演技力とリアリティに重きを置いた演出は、プロレスというエンタテインメントの裏側を嫌味なく暴き、観る側に快く受け取られるように描き出している点も出色である。

 スポーツでありながかショーでもあるプロレスリングの舞台裏では、敵味方が親しく語り合い、試合直前に大まかな段取りを打ち合わせる。本篇では、凶器を用いたダーティな試合運びをする相手が、ステープルを使った攻撃をするが大丈夫か、という確認を重ねているのが印象的だ。ランディ自身も、腕に巻いたテープの下に小さくした剃刀を仕込んで、試合相手が観客の注意を惹いている隙に額を切り血を流して、そのあとでコーナーに額を叩きつけられる場面をドラマティックに演出している。そして試合が済めば、控え室で彼らは笑顔を浮かべて互いを讃え合うのだ。確かにイカサマと言えるが、盛り上げるために体を酷使し、相手に向かって小声で「もっと来い」と要求する姿は清々しく、これこそプロフェッショナルである、と実感させる。

 だが、たとえどれほど健康的であっても、華やかなりし日々と較べての惨めさは明白であり、最後には肉体を酷使しつづけた生活のツケを、ランディは払わされることになる。既にプロレスを諦めた、と取れる中盤以降の言動は、なまじそれまでの苦労しながらもリングで活き活きと振る舞っていた姿を見ているだけに余計痛々しい。

 そして最後はある意味とても自然な結末に辿り着く。ハッピーエンドどころか悲劇としか言いようのない締め括りだが、それまでずっと彼の背中を追ってきた観客には、“逃げ”とも取れる彼の結論も納得できてしまう。たった一つ与えられた領分を全うしようとする姿は惨めでもあり、同時に美しさをも感じさせる。現実を克明に汲み取った生々しい脚本、人物像を身近にする筋の通った演出、驚異的に役柄とシンクロしてみせたミッキー・ロークが揃ったことで、本篇は間違いなく映画史に名を刻む傑作となった。フィクションでありながら、ここまで主人公を生々しく魅力的に描ける映画は、そうそう登場しないだろう。

 それにしても、本篇が日本で公開されたその日に、日本のプロレス界を支え続けた人物がリング上での事故がもとで急逝したのは、いったいどういう巡り合わせだろうか。私自身はいま現在プロレスにはまったく興味がないのだが、かの選手が未だマスクを被っていたころには憧れていたのだ。

 その程度の記憶しかなくとも重ね合わせて観てしまったぐらいなのだから、いまでもかの選手を愛し、尊敬しているという人は、しばらくこの作品は避けた方が無難かも知れない。冷静になってから、しみじみと噛みしめていただきたい。

関連作品:

レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード

シン・シティ

ファウンテン 永遠につづく愛

ダイアナの選択

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