『ホワイト・ライズ』

ホワイト・ライズ [DVD]

原題:“Wicker Park” / オリジナル脚本:ジル・ミモーニ / 監督:ポール・マクギガン / 脚本:ブランドン・ボイス / 製作:アンドレ・ラマル、ゲイリー・ルチェッシ、トム・ローゼンバーグ、マーカス・ヴィシディ / 製作総指揮:ヘンリー・ウィンタースターン、ジョルジュ・ベナヨン、ジル・ミモーニ、ハーレイ・タンネバウム / 撮影監督:ピーター・ソーヴァ,ASC / プロダクション・デザイナー:リチャード・ブリッグランド / 編集:アンドリュー・ハルム / 衣装:オデット・ガッドゥリー / キャスティング:デボラ・アクィラ,CSA、トリシア・ウッド,CSA / 音楽スーパーヴァイザー:ライザ・リチャードソン / 音楽:クリフ・マルティネス / 出演:ジョシュ・ハートネットダイアン・クルーガーローズ・バーン、マシュー・リラード、クリストファー・カズンズ、ジェシカ・パレ、ヴラスタ・ヴラナ、テッド・ウィットール / レイクショア・エンタテインメント製作 / 配給:日本ヘラルド映画

2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間56分 / 日本語字幕:?

2004年12月11日日本公開

2006年7月19日DVD日本最新盤発売 [bk1amazon]

DVDにて初見(2009/12/24)



[粗筋]

 2年振りにシカゴに戻って2ヶ月、マシュー(ジョシュ・ハートネット)は親友のルーク(マシュー・リラード)と再会する。折しも商談のためにレストランに向かっていた最中で、長話は出来ず、あとで電話を入れると約束して別れた。

 商談が一段落したところで、マシューは席を立ち、レストランの電話室に赴く。だが生憎先客がおり、やむなく彼は隣にあるトイレでしばしやり過ごすことにした。換気口を介して、電話室の声が微かに漏れ聞こえてくる。聞くともなしに聞いていたマシューは、次第にある直感を覚え、女性が電話室を出て行くと、そのあとを追った。

 女性はバーカウンターのそばで、マシューの上司であり、恋人レベッカ(ジェシカ・パレ)の兄であるウォルター(テッド・ウィットール)とぶつかり、履いていたハイヒールの踵を追って立ち往生した。反射的に、ウォルターに見られまいと物陰に避けたマシューだったが、その視界にはハイヒールの真っ赤な底の色が焼きついている。

 電話室に戻っていったマシューは、部屋の中に残る芳香に、自分の直感が正しかったことを確信した。その薫りを忘れるはずがなかった。彼の記憶に刻まれるその薫りの主は、2年前にマシューが一目惚れし、鮮烈に恋に落ちながら、突如去ってしまった最愛の人――リサ(ダイアン・クルーガー)であった。

 2年前、カメラマンとして工房で働いていたマシューは、修理に出されていたカメラに映っていた女性に一目で惹かれた。モニターをチェックしていると、店の外をまさに被写体であるその女性が歩いているのを目撃し、マシューは衝動的に追いかけてしまう。女性が入っていったダンス教室まで潜りこんだものの、声をかけることは出来なかった。

 ルークが経営する靴屋を訪ね、自分の不甲斐なさをぼやいていると、驚くべきことに、問題のその女性が客として現れた。半ばルークにそそのかされる格好で、店員として接したマシューだったが、彼女はマシューが自分を尾けた男だと気づいていた。もう為す術がない、と一瞬諦めたが、彼女が欲しがったハイヒールの、合ったサイズが入荷したときのために、と書いてもらった連絡先のメモには、待ち合わせ場所が記されていた。

 こうして、運命的に出逢い、激しく恋に落ちたマシューとリサだったが、未だにマシューは何故彼女が自分を置いて去ってしまったのか、理由を知らない。彼女を見つけた、という確信が、いちどは忘れていた想いを再燃させ――マシューをとんでもない行動に走らせた。

[感想]

 恋愛映画がいつまで経っても作られ続けるのは、人を慕う、愛する感情が理屈で片付けられず、時として理性や常識を逸脱した行為に至らせるからだろう。恋愛感情は非合理的なものと捉えられるが、そうして起こす行動は一貫した動機の伴う“ミステリー”を形作ることがままある。だから、時として本篇のような、恋愛を題材としたミステリー、と考えるしかないような物語が生まれる。

 序盤、まだ淡々と事実を連ねている段階でさえ、謎解きのある物語を好む向きとしてはゾクゾクするような描写が本篇にはある。久々に再会した友人との意味深長なやり取りに始まり、主人公マットが電話室の前後で見せる言動と、その背後でちらつく謎めいた描写の数々が、既に緻密な構成の匂いを漂わせる。勘のいい人はこの時点で本篇が単純な恋愛映画ではなく、仕掛けのある物語だと察して身構えて鑑賞し始めるはずだ。

 そうした期待に違わず、本篇は実に緻密に構成されている。序盤こそマシューのある意味危うい奇行とノスタルジックな回想が続き、いささか間延びしているように感じられるのだが、マシューがあるアパートに侵入したあたりから、少しずつ物語は複雑な背景を顕わにしていく。いわゆる推理もの、ワン・アイディアもののように、最後で真相を畳みかけて観客の度胆を抜くという趣向ではなく、絶え間なく驚きと発見とが観客の前に繰り出され、眩暈がするほどだ。

 本篇の描写は、登場人物よりも先に観客が事態の全貌を見届けられるようになっている。結末に衝撃が束になって襲いかかるのではない、と知って物足りなく思うかも知れないが、その分だけ、輻輳した事実が終盤にもたらすハラハラと感動は秀逸だ。

 この作品を観ていて不満を覚える、苛立ちを感じる点があるとすれば、それは登場人物たちの行為が正しいものとは思えないことに起因しているはずだ。実際、一連の成り行きで、最も事態を複雑化させた人物の行動はあまり褒められたものではないし、マシューにしてもかなり危うい橋を幾度も渡っている。この物語でなければ、捕まっていても不思議のない行動もあった。

 だが、いずれの行動も、実は決して突飛ではない――というより、恐らく同じような状況に追い込まれたなら、たとえあそこまで極端でなくても、似たような対応をしてしまう、と感じる人もあるはずだろう。この展開のきっかけとなった人物にしても、気の毒と思えるそもそもの事情が存在する。

 輻輳した状況を整然とした、巧みな手管でほどいていった結果、観る者に示されるのは、やはり“人を愛する”ということの難しさ、罪深さと、それでも人を想わずにいられない、業の深さとでも呼ぶべきものだ。

 そして、そのあとに提示される結末は、だからこそ言いようのない切なさと快さに満たされている。さながら牢獄のような謎を抜け出て辿り着いたラストシーンには、一種の解放感のようなものさえ漂っている。

 シカゴの冬の寒々とした雪景色、清澄な空気もまた、物語の冷たさと人の感情の暖かさ、ドラマの苦みばしった美しさを強調する。奇しくも同年発表され、アカデミー賞オリジナル脚本部門に輝いた『エターナル・サンシャイン』はSF的手法に乗っ取ったラヴストーリーであったが、本篇はミステリ的文法を駆使して描かれた恋愛映画の傑作として、あちらに並べても遜色のない良作である。

 なお、本篇はフランスで1996年に製作された映画『アパートメント』をハリウッドでリメイクしたものだが、生憎そちらは鑑賞していない。どの程度オリジナルに添っているのか、脚色を施しているのかは不明だが、少なくとも冬のシカゴ、小さな公園を軸に物語を構築した本篇は、作品の良さをうまくアメリカに移植することに成功していると思う。いずれ機会を得て、オリジナルも鑑賞してみたい。

関連作品:

ラッキーナンバー7

エターナル・サンシャイン

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