『デイブレイカー』

『デイブレイカー』

原題:“Daybreakers” / 監督&脚本:マイケル・スピエリッグピーター・スピエリッグ / 製作:ショーン・ファースト、ブライアン・ファースト、クリス・ブラウン / 製作総指揮:ジェイソン・コンスタンティン、ピーター・ブロック / 共同製作:トッド・フェルマン / 撮影監督:ベン・ノット / プロダクション・デザイン&衣裳デザイン:ジョージ・リドル / 編集:マット・ヴィラ / 視覚効果:ポストモダンシドニー、カヌカスタジオ、スピエリッグ・ブラザーズ / 特殊メイク効果:スティーヴン・ボイル / キャスティング:ニキ・バレット / 音楽:クリストファー・ゴードン / 出演:イーサン・ホークウィレム・デフォー、クローディア・カーヴァン、サム・ニール、マイケル・ドーマン、イザベル・ルーカス、ヴィンス・コロシモ / 配給:Broadmedia Studios

2008年オーストラリア、アメリカ合作 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+

2010年11月27日日本公開

公式サイト : http://www.daybreakers-movie.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2010/11/27)



[粗筋]

 感染は爆発的に拡大し、瞬く間に社会の構図を書き換えた。血を吸うことで眷属を増やし、太陽光と心臓に杭を穿たれること以外で死ぬことも老いることもないヴァンパイアは、数で人類を圧倒し、世界を支配するに至る。人類は捕獲され、栄養分を供給する家畜として飼われる立場に陥った。

 だが、最初の感染から約10年を経た2019年、吸血鬼による社会は袋小路に入っていた。栄養源である人類が激減、潜伏する者を捕獲して飼育する計画も追いつかず、血液供給業界最大手のブロムリー血液製剤会社では食品に混入する血液の量を減らすことでどうにか保ってきたが、このままの状態が続けば間もなく在庫が払底する、という窮地にある。社長のチャールズ・ブロムリー(サム・ニール)は代用血液の開発を急がせるが、失敗が続いていた。

 ブロムリー社の薬品開発部門の科学者であるエドワード・ダルトン(イーサン・ホーク)は悩んでいた。代用血液の開発が進まないこともさることながら、もともと不老不死に興味はなく、弟でいまは人間狩りを担当する軍人のフランキー(マイケル・ドーマン)に騙される形で吸血鬼となった彼は、血を飲むことに抵抗があり、人類がこのまま絶滅していくことも良しとしていなかった。だが、このまま血を飲まずに飢えを募らせると、いずれヴァンパイアは自我を失い仲間さえ襲うサブサイダーという化物に変容してしまう。

 転機は突如として訪れた。乗用車で移動中、逃走していた人間たちと接触事故を起こしたエドワードは、彼らが警察に見つからないよう取りはからう。その直後、彼が助けた人間のひとりであるオードリー(クローディア・カーヴァン)がエドワードの家に現れると、彼にある場所を示した地図を手渡して去っていった。

 彼女が指定した時刻は、日の注ぐ午後、ある大樹の陰。そこで引き合わされたライオネル(ウィレム・デフォー)という男は、エドワードに衝撃的な体験を語った――

[感想]

 ここ数年、吸血鬼を題材にした映画が増えている。モンスターたちの戦いに科学技術を融合しスタイリッシュに描いた『アンダーワールド』シリーズに、青春恋愛物語の要素を絡め10台を中心に熱狂的な支持を集める『トワイライト』シリーズ、更には古典的なヴァンパイアの特徴を掘り下げた『ぼくのエリ 200歳の少女』という傑作も誕生している。

 だが、そうした作品群と比較しても本篇は非常にユニークで独創的だ。既に使い古された感のある“吸血鬼”というモチーフを掘り下げ、新しい描き方があることを見事に提示している。

 世界が異種によって制圧される、という物語は他にもある。ファンタジーやホラーの系譜で言えば、『ゾンビーノ』のようにある意味平和な共存ぶりを滑稽に切り取った秀作もあった。だが本篇のように隅々まで考慮し、ディストピア型の近未来SFのような手法で構築していったのは珍しい例だろう。

 吸血鬼によって支配された世界だからこそ成り立つ描写の数々が実にユニークだ。人類を捕獲して血液を供給する、という程度は解りやすいが、血液を混ぜた食品を売るスタンドで、供給不足のために食品に混ぜる血液の量が少しずつ減っていくことに苛立ちを見せる客たちや、飢えて“血を分けてください”というプラカードを下げて街角に佇むホームレス、という如何にも、というシーンが鏤められている。

 当然のように乗用車もヴァンパイア仕様で、日中でも移動が可能なように、窓は黒いスモークがかかる機能がついており、その状態でも走行できるよう、車体には四方を向いたカメラが取り付けられている。そして、この車で日中にカーチェイスを行っているのだ。撃ち込まれる銃弾によって穴が開いた状態で逃げまわるこの緊迫感は、まさに本篇ならでは、である。吸血鬼というものの特性をよく理解して膨らませたことが、いっそう作品のアイディアに広がりを齎している。

 だが、特に素晴らしいのは、事態を一変させる“発見”だ。従来の吸血鬼ものには存在しなかった発想だが、決して馴染みのある世界観を破壊することなく、新しい世界を広げている。しかも、こちらもその先にもうひとひねり加えており、そのアイディアが齎すクライマックスのシュールとしか呼びようのない地獄図絵はホラー映画愛好家なら一見の価値がある。惨たらしくも滑稽なひと幕は、この映画以外では作りだしようもない。

 非常に創意工夫に満ちた作品だが、観終わった直後は、惜しむらくはドラマの掘り下げが甘い、という印象を受けていた。アイディアが先行しすぎて、相変わらず個性の強烈なウィレム・デフォーを除けば全体に凡庸な人物像に落ち着いている、と感じたのだ。

 だがこの点も、振り返って検証してみると、人物像とその配置にまったく隙がないのに気づいて評価を改めた。望まずして不老不死を手に入れた主人公エドワードの悩める姿に、彼を夜の世界へと導いた弟フランキー、吸血鬼の世界で血液ビジネスの寵児となりながらもひとつの過去に苦しめられるブロムリー社長、そして一連の事態を打開する手懸かりを持った男ライオネル、それぞれが物語にとって重要な役割を持っており、そこに御都合主義の匂いを感じさせることなく、劇的な結末に昇華させる手管が鮮やかだ。

 思えば本篇は、プロローグからして秀逸なのだ。郊外の一軒家、ひとりの少女――見た目はそうでも、恐らく何歳か年を取っている――が机に向かって何かを書いている。場面が移り、薄明の庭に先刻の少女がおり、どうやら遺書と思しい文面を織りこんだあと、昇ってきた太陽に焼かれる彼女の姿を経て、タイトルバックに突入する。吸血鬼となった人物が陽光に身を晒して自害を遂げる、というのは決して珍しいシチュエーションではないが、それが日常の延長上のひと幕として描かれるこのプロローグは、作品の底に流れる価値観を一瞬で観客に呑みこませ、惹きつけてしまう力強さがある。

 今後も恐らく様々な趣向を凝らした“吸血鬼”映画が作られるだろうが、本篇はその中でも特に創意工夫に満ちた、魅惑的な1本として記憶に残るに違いない。

関連作品:

アンダーワールド:ビギンズ

トワイライト〜初恋〜

フロム・ダスク・ティル・ドーン

ヴァン・ヘルシング

30デイズ・ナイト

ぼくのエリ 200歳の少女

ゾンビーノ

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