『ゴッドファーザー』

『ゴッドファーザー』 ゴッドファーザー PartI <デジタル・リストア版> [DVD]” title=”ゴッドファーザー PartI <デジタル・リストア版> [DVD]” class=”asin”></a></p>
<p>原題:“The Godfather” / 原作:<a class=マリオ・プーゾ / 監督:フランシス・フォード・コッポラ / 脚本:フランシス・フォード・コッポラマリオ・プーゾ / 製作:アルバート・S・ラディ、ロバート・エヴァンス / 撮影監督:ゴードン・ウィリス / プロダクション・デザイナー:ディーン・タヴォウラリス / 美術:ウォーレン・クライマー / 舞台装置:フィリップ・スミス / 衣裳:アンナ・ヒル・ジョンストーン / 編集:ウィリアム・レイノルズ、ピーター・ジンナー / 音楽:ニーノ・ロータ / 出演:マーロン・ブランドアル・パチーノジェームズ・カーンジョン・カザールダイアン・キートンロバート・デュヴァルリチャード・カステラーノタリア・シャイアスターリング・ヘイドンジョン・マーリーリチャード・コンテアル・レッティエリフランコ・チッティ、エイブ・ヴィゴダ、ジャンニ・ルッソ、ルディ・ボンド、アレックス・ロッコ、シモネッタ・ステファネッリ、アンジェロ・インファンティ、ジョン・マルティーノ、リチャード・ブライト、ヴィトー・スコッティ / 配給:パラマウント×CIC / 映像ソフト発売元:Paramount Home Entertainment Japan

1972年アメリカ作品 / 上映時間:2時間55分 / 日本語字幕:菊池浩司

1972年7月15日日本公開

2011年2月25日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray DiscamazonBlu-ray Disc 3部作セット:amazon]

第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品

TOHOシネマズみゆき座にて初見(2011/04/02)



[粗筋]

 1946年、ニューヨークに居を構えるマフィアのドン、コルレオーネ家のドン、ヴィトー(マーロン・ブランド)の娘コニー(タリア・シャイア)とカルロ(ジャンニ・ルッソ)の結婚式が催された。太平洋戦争で活躍し英雄となって帰還したマイケル(アル・パチーノ)も顔を見せるなか、ヴィトーのもとには多くの同胞たちが挨拶に訪れていた。

 うちのひとり、ジョニー・フォンテーン(アル・マルティーノ)はコルレオーネ家の引き立てによりスター歌手となっていたが、現在伸び悩んでいる。挽回のために、ある映画の役を勝ち取ろうとしていたが、プロデューサーのジャック・ウォルツ(ジョン・マーリー)が頑強に反対していた。ヴィトーはトム・ハーゲン(ロバート・デュヴァル)を使者として送りこみ、トムは容赦のない手段でウォルツを屈服させる。

 この頃から裏社会では、麻薬取引で急成長する組織が出始めていた。コルレオーネ家の縄張りにも勢力を拡大しつつあったソロッツォ(アル・レッティエリ)は、代議士にも人脈のあるコルレオーネの協力を求めたが、麻薬は組織を壊す、という見解を持つヴィトーは、それを固辞する。

 だが、これに対しソロッツォは暴力で応えた。様子を探るためにヴィトーが寄越した刺客を殺害すると、ヴィトー本人に銃を向ける。不意をつかれたヴィトーは5発もの銃弾を浴び、一命こそ取り留めるが、現場を退くほかなくなってしまった。

 後継者候補と目されているソニー(ジェームズ・カーン)はいきり立つが、彼に代わって復讐を遂げたのは、意外にもマイケルだった。一族と距離を置き、表の世界で活躍することを期待され、本人もそのつもりでいたのだが、偶然に2度目の襲撃から父を守った経緯と、ソロッツォから直々に和解の申し出があった際、コルレオーネ一族の将来のため、そして父の復讐のために、自らの手を汚したのである。

 無事に使命を果たしたマイケルは、一族の郷里であるシチリア島に移り、しばし身を潜めた。そして、彼が蟄居するあいだにも、アメリカのマフィアの勢力図は、じわじわと書き換えられていく――

[感想]

 いわゆる“暗黒街”を題材にした映画というと、極めて暴力的なやり取り、悽愴な殺戮の場面、陰惨な抗争……といった具合に、血みどろな内容を思い浮かべるのが標準的な考え方ではなかろうか。近年はイギリス産の、音楽をふんだんに用いたテンポのいい犯罪コメディが流行したことで、少し切り口も変わってきたようだが、未だにその表現の壮絶さを売りにすることの方が多い、と感じられる。

 だが本篇は、冒頭から漂うものが異なる。裏社会に君臨してきた人々だからこその威圧感を滲ませながらも、登場人物たちの物腰には品性が感じられる。以降の振る舞いにしても、しばしば物騒な言動をちりばめてはいるが、しかし基本的には穏便を保とうとしている。裏社会のドンの一家を描く、という大雑把な表現から横柄な物言いや人を虫けらのように扱う様を想像したりすると、そのイメージとの隔たりに戸惑いそうなほどだ。

 本篇を鑑賞していると、いつしか裏社会のドン、という立場に求められる責任と風格、というものが理解できてくる。そこには決して暴力や恐怖だけに頼った統率力ではなく、他のファミリーとの均衡、将来を見据えた“商売”の選択など、細やかな配慮が求められてくる。本篇は、そうした思想の伝え方が実に巧妙だ。

 そして、だからこそ本篇は“ドン”と呼ばれる者の人徳と苦悩とを見事に浮き彫りにしている。相手の財力にかかわらず、頼ってきた者には助力を惜しまない姿勢。扱う“商品”の素性を考慮して対処する慎重さ。不穏な動きに対しては、予め手を打つことも忘れない――だがそれでも、社会情勢に影響を受けた不測の流れ、急激な変化に翻弄されることは避けられない。名君であっても、否応なしにその座を退けられ、そうして次代が担ぎ上げられる。

 そうしたドラマの大きな流れを、多数の登場人物たちの動向を紡いで語る本篇は群像劇に近い趣があるが、しかし実際にはほぼふたりの人物の姿を追うことで成立している。前述したような優れた行いで信頼を集めながら物語半ばで凶弾に倒れてしまう最初の“ドン”と、結果的にそのあとを継ぐことになるある人物のふたりだ。この両者を巧みに対比させることで、マフィアという組織、その中のファミリーのしがらみが如何に濃密であるのか、そしてそこで求められる“ドン”としての人物像に、後継者が一気に詰め寄っていく様が実にドラマティックに描き出されている。

 その筆致はただただ圧巻、という一言に尽きる。それを、無数の伏線をもとにした、静かでありながら壮絶な、慄然たるクライマックスにまとめ上げるあたりの呼吸にも、恐れ入るほかない。

 演出、演技、音楽、それぞれの完成度の高さも極上だ。残酷な場面もけっこう盛り込まれているのに、ショックを強調せずドラマの一部としてさほど抵抗を与えることなく受け入れさせる手管。マーロン・ブランドという大御所を頂点に、その持ち味を遺憾なく発揮する、のち名優、名脇役たち。聴くだけで物語とその印象的なワンシーンが蘇る音楽――ほとんど間然するところがない。ところどころ、フィクション故の過剰さは垣間見えるが、この程度は瑕疵ですらないだろう。

 のちに製作された2つの続篇を含めて、映画史に燦然とその名を刻む作品だが、その完成度の高さは本篇だけを鑑賞しても充分に実感できる。残るべくして残った、まさに“ドン”の風格が漂う、非情にして気高き名作である。

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コメント

  1. […]  月水金と午後からの用事がある都合上、映画はなるべく火木土に観に行くようにしてます。今日も何かしら観ようと思ってた、のですが―― […]

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