『SHOT/ショット』

SHOT/ショット [DVD]

原題:“La Casa Muda” / 英題:“The Silent House” / 監督&編集:グスタボ・エルナンデス / 原案:グスタボ・エルナンデス、グスタボ・ロホ / 脚本:オスカル・エステベス / 製作:グスタボ・ロホ / 撮影監督:ペドロ・ルケ / プロダクション・デザイナー:フェデリコ・カプラ / 音楽:エルナン・ゴンサレス / 出演:フロレンシア・コルッチ、アベル・トリパルディ、グスタボ・アロンソ、マリア・サラザール / 映像ソフト発売元:KLOCKWORX

2010年ウルグアイ作品 / 上映時間:1時間26分 / 日本語字幕:?

日本劇場未公開

2011年4月28日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2011/04/12)



[粗筋]

 ローラ(フロレンシア・コルッチ)は父のウィルソン(グスタボ・アロンソ)に伴われ、昔暮らしていた家を訪れた。間もなく売却される家の手直しを手伝うことになっていたのである。

 家の壊れ具合を確かめ、翌日以降に本格的に修繕にかかると決めて、ひとまず1階で休むことにした。だが、ローラは廃屋のはずの家のどこかから聴こえてくる物音が気懸かりで眠ることが出来ない。やむなく、ウィルソンが2階へ様子を見に行くが、間もなく、階下で待つローラの耳に、父のものらしき短い悲鳴と激しい物音が聞こえてきた。

 いったい、何が起きているのか――不安になかなか動けないローラだったが、やがて意を決してひとつのドアを開けると、そこには手首を縛られ、血を流し息絶えた父の姿があった……

[感想]

 本作のセル版パッケージには“P.O.V.”と記されているのだが、私の解釈では、本篇はいわゆる“P.O.V.”による作品ではない。

 この手法が用いられ、話題になったという意味で、最も印象的なのは『ブレアウィッチ・プロジェクト』だが、表現手法として一気に浸透したきっかけは『クローバーフィールド/HAKAISHA』のヒットであろう。相前後して発表された『REC/レック』でも話題を呼び、ゾンビ映画の第一人者ジョージ・A・ロメロ監督までが『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』で導入したことで、ほぼ定着した感がある。並べてみると日本では1年以内の出来事で、同時多発的に生じた地殻変動だったのかも知れない。

 これらの作品はいずれも、観客が見る映像は基本的に登場人物が撮ったもの、という位置づけになっている。従来の、第三者視点のままでは演出しきれなかった臨場感を実現できることが、意欲的な映像作家たちの創作意欲を刺激したのだろう。

 だが本篇は、カメラを構えている人物が作中に存在しないのだ。シンプルな手持ちカメラで撮影されていると思しいが、ずっとカメラに追われているローラが撮影者に呼びかけることはいちどもないし、この手法ではしばしば用いられるカメラを置く演出、撮影者が休んだり入れ替わったりする趣向も見られない――現実として、特に理由もなくずっとカメラを構え続けることはあり得ないから、本篇はあくまで第三者視点での撮影手法を用いていると捉えるべきだ。つまり、前述した作品群のような“P.O.V.”ではない。

 本篇の魅力は“P.O.V.”めいた手法で撮影されていることではなく、全篇ほぼワンカットで撮影されていることにこそある。ローラという女性の周囲をつかず離れずカメラが追い続け、一連の出来事をひと繋がりのまま追う。こうした手法はそれこそ“P.O.V.”という手法が一般化する遙か以前から用いられていたが、近年でも『エルミタージュ幻想』や『85ミニッツ PVC-1 余命85分』といった、ややマイナーな作品でお目にかかれる。ハリウッド大作でも、全篇ワンカットではないが、重要なくだりをワンカットで描き衝撃をもたらした『トゥモロー・ワールド』という傑作があるが、いずれも物語や作品世界を途切れなく観客の前に示すことで、“P.O.V.”に近い臨場感や、驚きを表現出来る利点がある。

 本篇はこの、途切れることなく映像が続く、という趣向を活かし、細かな驚きや意外性を表現しているのが出色だ。ヒロインの向こう側に忽然と誰かが映りこみ、次の瞬間ヒロインがそちらに向かっていく、という緊張感のあるくだりや、物音を探るために2階に向かい、戻ってくると、あるべきものが消えている、という場面の驚きに、この手法の利点を充分承知したうえで工夫を凝らした痕跡が窺える。そのアイディアの多さこそ、本篇の魅力のすべてと言っていい。

 だが惜しむらくは、これらの趣向を、脚本や芝居が活かし切れていないのだ。場面場面で意外性や驚きを演出する手腕は評価出来るが、それらが終盤で描かれる出来事、真相と矛盾しているために、終わってみると「あれはいったい何だったんだ?」という印象しかもたらさない。そして、物語の焦点たるヒロインの感情表現がところどころ不自然であるために、観客が物語に入り込むことを妨げてしまっている。

 結果として、ワンカットでの撮影と、それを活かした視覚的なアイディアの優秀さばかりが際立った作品になってしまった。演出はともかく、脚本の段階でもっと慎重に練り上げていれば、サスペンス映画として傑作と呼べる出来に仕上がった可能性が色濃く窺えるだけに、非常に惜しい。

 ちなみに本篇は、『オープンウォーター』のスタッフにより、英語でリメイクが行われ、既に完成しているという。長ったらしく述べてきた通り、ワンカット撮影とそれを巡るアイディアは秀逸ながら、ストーリー的には大いに問題のある内容なので、いったいどういう形でリメイクしたのかには興味が湧くのだが……果たしてそちらが日本に届くことはあるのだろうか……?

関連作品:

85ミニッツ PVC-1 余命85分

正体不明 THEM

コメント

タイトルとURLをコピーしました