『ほんとうのピノッキオ』

TOHOシネマズシャンテの入っているビル外壁にあしらわれた『ほんとうのピノッキオ』キーヴィジュアル。
TOHOシネマズシャンテの入っているビル外壁にあしらわれた『ほんとうのピノッキオ』キーヴィジュアル。

原題:“Pinocchio” / 原作:カルロ・コッローディ / 監督:マッテオ・ガローネ / 脚本:マッテオ・ガローネ、マッシモ・チェッケリーニ / 製作:パオロ・デル・ブロッコ、マッテオ・ガローネ、アン=ロール・ラバディ、ジャン・ラバディ、ジェレミー・トーマス / 製作総指揮:アレッシオ・ラッツァレスキ、マリー・ガブリエル=スチュワート、ピーター・ワトソン / 撮影監督:ニコライ・ブルーエル / 美術:ディミトリー・カプアーニ / 編集:マルコ・マルコ・スポレンティーニ / 衣装:マッシモ・カンティーニ・パリーニ / 特殊メイク:マーク・クーリエ / 音楽:ダリオ・マリアネッリ / 出演:フェデリコ・エラピ、ロベルト・ベニーニ、ジジ・プロイエッティ、ロッコ・パパレオ、マッシモ・チェッケリーニ、マリーヌ・ヴァクト、アリータ・バルダリ・カラブリア、マリア・ピア・ティモ、マッシミリアーノ・ガッロ、ジャンフランコ・ガッロ、ダヴィデ・マロッタ、テコ・セリオ / 配給:Happinet-Phantom Studios
2019年イタリア作品 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:杉水あり
2021年11月5日日本公開
公式サイト : https://happinet-phantom.com/pinocchio/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2021/11/6)


[粗筋]
 とある寒村で木工職人として働くジェペット(ロベルト・ベニーニ)は、日々貧しさに喘いでいた。ある日、村にやって来た巡回の人形劇の姿に、ジェペットは自分で人形を彫ることを思いつく。知己の材木店に、端材を提供してもらいに行くと、思いがけず上質な丸太を提供してもらった。
 彫っていくうちに、不思議なことが起きる。上半身のかたちが整ってきたころ、人形の胸部が拍動し始めたのだ。この人形は生きている――果たして、完成した人形は意志をもって話しはじめた。ジェペットは「子供が出来た」と歓喜する。
 ピノッキオ(フェデリコ・エラピ)と名付けた人形を、ジェペットは本当に我が子として扱うことにした。しかし、意志をもったピノッキオはなかなかに扱いづらい。歩くことを教えられると、ジェペットが目を離した隙に家を飛び出し、草原を駆け回った。探しに出たジェペットをよそに、家に戻ったピノッキオは、暖炉に足を近づけすぎて、居眠りしているあいだに足首から先を失ってしまう。屋根裏に潜むおしゃべりコオロギ(ダヴィデ・マロッタ)から「親に従わない子は幸せになれない」と諭されるが、ピノッキオは癇癪を起こしハンマーを投げつけるのだった。
 いい子に育つためには教育が必要だ、と考えたジェペットは、数限りある財産であるコートや上着と引きかえに教科書を手に入れ、ピノッキオに持たせて学校へと送り出す。しかし、途中で目撃した人形劇に惹かれたピノッキオは、その教科書を売って人形劇の入場券に替えてしまった。
 演劇に夢中になったピノッキオが声を挙げると、壇上で演じていた人形たちが、客席に動く木製人形がいることに気づいた。ピノッキオは一座の親方(ジジ・プロイエッティ)によって捕らえられ、連れ去られてしまう。
 下校の時間、迎えに向かったジェペットは、そのとき初めてピノッキオが授業に出ていなかったことを知る。話を聞いて人形劇のあった場所に駆けつけるが、既に一座は旅に出たあとだった。半狂乱となったジェペットは、我が子を追って旅に出る。
 一方、ピノッキオは焚き火にくべられそうになるが、親方を懸命に説得し事なきを得る。ピノッキオの身の上を知った親方は、連れ去ったことを謝罪し、金貨5枚を与えて送り出す。
 既に父が家にいないことを知らないまま、ピノッキオは家路に就く。しかし、彼の苦難の旅は、まだ始まったばかりだった――


[感想]
 私自身もそうだが、ピノッキオというと、“嘘をつくと鼻が伸びる”というエピソードしか記憶になかった。あまりにも設定が解りやすくインパクトが強いせいだろう、パロディにされるのもほぼ鼻が伸びるくだりしか見た覚えがない。
 本篇の監督は、そうして一人歩きしてしまったピノッキオを、原作に近いかたちで映像化することを構想したという。それゆえに、有名な“嘘をつくと鼻が伸びる”場面は、驚くことに1箇所しか出て来ない。直後、小鳥についばまれてもとの大きさに戻るまでのヴィジュアルのインパクトが強く、確かに鮮烈に記憶に残るのも無理はない。一方で、こればかり採り上げていたら、他の様々なイメージがないがしろにされる。ピノッキオという作品の実像を伝えるためには、この設定に重きを置くのは、確かに誤っていたようだ。
 実際、その“鼻が伸びる”という憐れだが愛らしいヴィジョンは、作品のごく一部分でしかなかったらしい。本篇には純粋さと残酷さ、無慈悲さ、だからこそ如実に見える成長というものの尊さ、といった“幼児性”の本質が、豊かなイマジネーションで織り込まれている。
 まず驚かされるのは、導入からしていきなりファンタジーなのだ。木製の人形であるピノッキオが何故意志を持って動けるのか、という部分が、何らかの願いや、特殊な力で実現するのではなく、ジェペットが生活の糧のために人形を彫ろうとした材木が、たまたま意志をもって動ける木だった、というところから始まっている。しかも、話が進むと、ピノッキオが特別な例外ではない、ということが急に露わになってくる。いちど囚われそうになった人形劇の人形たちが、みんな繰り糸がただの飾りで、みんなピノッキオと同じように動き、話をするのだ。
 こうした、いささか恣意的とも言える設定、話の流れは、しかしそれこそ、幼い子供の奔放なイマジネーションと共鳴しやすいものなのではなかろうか。まるで、子供が人形片手に繰り広げる、即興的な芝居にも似た、変幻自在の語り口。それが大人にも、むず痒さに似た感覚とともに、童心の蘇るような気分をもたらす。
 その一方で、本篇には子供の容赦ない残酷さまでが、冷静な眼差しで挿入される。ジェペットがなけなしの財産である上着を売って入手した教科書を、人形劇購入の代金に替えてしまったり、理性的な助言をするコオロギに木槌を投げつけたりと、ピノッキオの振る舞いはまるで配慮に乏しい。宣伝ではズバリ“悪童”と言ってしまっているのも頷けるほどだ。
 しかしそれは同時に、どうしようもなく人間らしくもある。ピノッキオを、他の子供たちと区別するのは、木製であり、人間のように肉体的に成長することは望めない。だから、本質的に“子供”のままであるピノッキオの姿には哀れが滲む。
 そんな彼が遭遇する災難の数々もまた、悲哀を色濃くしていく。ピノッキオが善意で与えられたお金を、見え透いた嘘で奪うネコとキツネ。約束されたはずの、人間への変化を妨げられるくだり。再登場したコオロギに、ド直球の正論で詰られるくだりもまた、観ていて胸が締めつけられるようだ。
 また本篇が罪深いのは、独創的でグロテスクなキャラクターやその言動が、映画としては整った佇まいをしていることだ。コオロギやネコ(ロッコ・パパレオ)、キツネ(マッシモ・チェッケリーニ)といった、本来は動物そのものとして描かれていたであろうキャラクターは、それらの特徴を出来る限り落とし込んだ特殊メイクを施した人間が演じている。みな薄汚れて不気味なデザインだが、人間がほぼそのままの姿形で演じているため、リアルな生命感が溢れている。童話らしいシチュエーションにも拘わらず、そうした質感の高さが描写に説得力を持たせてしまう。
 大人でさえ説得力を見る描写は、子供にとってはより親しみやすく、かつ恐ろしく映るのではなかろうか。しかしだからこそ、肉体的な成長のないピノッキオに少しずつ現れる“変化”に感銘を受けるはずだ。最初こそ、経験からなかなか学ぼうとしないピノッキオに苛立ちを覚えるが、そんな彼でも次第に世間を学び始める。自分のために唯一の防寒具さえ売り払った“父”ジェペットへの感謝を知り、漫然とは生きられない世界のことを理解していく。その末に訪れる結末は、ファンタジーが去っていくような寂しさと共に、快い清々しさもある。
 本篇を観たことで、私が思い浮かべたのはギレルモ・デル・トロ監督の諸作であった。グロテスクだが映像的にも、精神的にも美しいデル・トロ監督の心性は、原作のピノッキオにも相通じるものなのだろう。だから、それを理想的なかたちで実写化しようとした本篇に、デル・トロ作品の面影を見てしまうのかも知れない。デル・トロ監督作品が、クリーチャーやモンスターへの愛情で出来ているように、本篇にも、世界から弾かれるものへの愛が滲んでいることも恐らく関係している。
 昨今のメジャーな童話のような、清潔感とは距離を置きながら、それゆえに観る者の心に生々しく響く可能性を秘めている。ダークで、大人の鑑賞にも耐える仕上がりだが、むしろ子供にこそ見せてあげるべきかも知れない――最初はトラウマになるかも知れないが、きっと心に慈しむべき種子を残してくれる。


関連作品:
ライフ・イズ・ビューティフル』/『フェノミナ インテグラル・ハード完全版』/『ローマ法王の休日
パンズ・ラビリンス』/『メリー・ポピンズ』/『アリス・イン・ワンダーランド』/『オズの魔法使』『オテサーネク』/『くるみ割り人形と秘密の王国』/『ハンナ

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