都庁にて、《東京都銃砲刀剣類登録審査会》初体験。

発端。

 むかし私が住んでいた家は現在、解体が進んでいる。更地になったら、最後にもういちど見に行くことになっているが、まだ業者からの連絡はない。
 取り壊しに先駆けた片付けで、私は漫画や、ほとんど手をつけられなかった書籍類のうち、どうしても手許に置きたいものだけいまの家に運び、残る5000冊以上をまとめて処分した。諸々あって、まさしく二束三文ではあったけれど、これは致し方ない。
 使えそうな棚や小物類などもいくつか持ち帰ったが、なかでもいちばん重要で、厄介なものがひとつ、残されていた。

 母方の祖父が購入したという、軍刀。

 いつごろ購入したのか、正確な記憶は母にもないらしい。私がまだ向こうの家に暮らしている幼少期、母方の祖母に頼まれて、家のどこかにしまい込んだものだという。その後、家を温存したまま私たち一家は母方の実家に引っ越したので、ずっと放置されていた。
 さすがにこれを業者に処分してもらうのはあまり望ましくない。それほど価値のある軍刀ではない、と思われるが、いちおう祖父の形見でもある。そのため、取り壊しの前に探し出し、しかるべき手続を行って、可能ならいまの家で保管しよう、ということになった。
 幸い、取り壊しの業者が入る前に発見することが出来た。

手続。

 しかし、面倒なのはここからだった。
 とりあえず母は地元の警察署に連絡し、自宅で保管するためにどのような手続が必要なのか確認したところ、ざっくりと2段階の申請が必要らしい。
 まずは地元の警察署にて、銃刀法に基づく所持許可を受ける。これは母が連絡をした直後、すぐに行うことになった。
 ……ご丁寧にも、パトカーで迎えに来てくれた。
 冷静に考えると当然のことだと思う。無許可のまんまの軍刀をぶら下げて出歩くのは、明らかに好ましくない。無事に、その日のうちに所持許可は出た。帰りもパトカーで送ってくれたそうな。
 もしこの時点で、軍刀が登録されていたものだったなら話が早かったのだけど、どうやら記録は残っていないらしい。このまま所持するためには、地元警察での許可のほかに、次の申請が必要になる。
 ……登録がない、ってことは、押入にしまったときも今回自宅に移したときも、実は持ち出しそのものが法に触れてるんですが、そこは聞かなかったことにしてください。取り壊しのタイミングが不明だったり、色々都合もあったのです。

 そして本日が最後の段階、教育委員会による登録審査会があった。
 都庁にて基本は毎月第三土曜日に実施されており、時間を予約したうえで当日、脚を運ばなければいけない。手続の主は母なので、母だけが出かけても良かったのだけど、荷物持ち、および後学のために、私も同行することにした。

審査。

 9時50分までに受付を済ませるように、とのことなので、早めに自宅を出て、電車を乗り継ぎ都庁へ。
 審査会は第二庁舎で行われる。土曜日なので、開いている出入口はひとつしかない。しかし、これを探し出すのが実に厄介。20分には都庁前駅に着いたのに、受付に辿り着くまでに15分ほど費やした。建物の案内が解りにくい。
 手わざわざ予約を取らねばならないあたりで察するべきでしたが、けっこう希望者が集まってる。到着し、受付でもらった整理番号は8番。あとからも10人ほどやって来ている。……ここにいるひとがみんな銃刀の類を所持してるかと思うとなかなかスリリングだ。
 少し待つと、整理番号の小さい順に、待合場所の前にあるホールの中へと案内される。5組ずつ入っていったので、私たち母子もほどなく招かれた。
 会場となるホールは、入って左手奥に長机を大きな正方形になるよう揃えたものが3組置かれていて、それぞれに鑑定人がふたりずつ付き、持ち込まれた銃剣類を審査している。右手には審査料の支払いの受付と、鑑定後の書類を発行する係員が控えている。ここで更に少し待つあいだに、鑑定料の支払いを行う運びらしい。
 眺めていると、けっこう小太刀、脇差しのような短いものが多く、私たちが持ち込んだようなものはそれほど見られない印象。距離があるのでさすがに詳細までは聞こえてこないが、若い方が持ち込んだ錆々の小太刀は、どうやら処分せざるを得ないらしい。
 実は、こうした刀剣類は、登録が認められないと処分を促される。規則により、ここで登録できるのは日本刀のみ、それも実用あるいは観賞用として形式に則って鍛錬されたものに限る。洋刀や群体などで使用された儀礼刀の類は所持を認められない。また、錆びきっていたり痛みが激しかったり、拵えが癒着して抜けない場合も、審査不能ということで処分対象になる場合もあるらしい。
 そのあたりの話は、今日ここに来るまでに調べてある。なにせまったく価値が解らないので、処分するならもうその辺で警察に預けてしまえ、とまで考えていた――ただしこれも、地元警察に持ち込むのが正しいそうなので、どのみちいちどは持ち帰らねばならないらしい。まあまあずっしりと重たいものなので、若干げんなりする。

 15分ぱかりで私たちの順が来た。
 出来れば鑑定の様子を撮影して記録しておきたかったのだけど、どうやら撮影は認められないらしい。大人しく、鑑定人の方に軍刀をお渡しし、審判の時を待つ。
 他の方の審査を眺めていると、拵えを外すために何度もトンカチで叩いたり苦労しているのも見受けられるなか、私たちの持ち込んだ軍刀はわりとすんなり外れた。鑑定人の方は柄に入っている茎という部分の銘を確かめている。
 見ていると、鑑定人の方が揃って銘を読み取ろうとしていた。

「安……政、ですか?」
「安政ですね」

……安政?!

 安政、ってあれ? 安政の大獄のあれ?? てことは江戸末期? 軍刀じゃなかったのこれ?!!
 穏やかとは言え厳粛な雰囲気のなかでぎゃーぎゃー喚くわけにもいかず黙ってはいた。しかし頭のなかでは疑問符が渦巻いていた。
 持ち込むときは、半分以上、廃棄するのを覚悟していた。しかし予想に反し、鑑定人は銘を書き取り、別の係員に手渡している。数分後、紛う方なき登録証が発行されてしまった。思わず、係員の方に「所持してていいんですね?」と間の抜けた質問をしてしまった。

 当初は処分するところまで話のタネにするつもりで、出かける前日のうちにこの項の序盤を書き上げてあった。しかし、銘を手懸かりにネットで調べるほどに、本物らしさが増したため、詳細を語るのはちょっと憚られる状況になってしまった。
 今回の審査はあくまで、日本刀の様式に則って制作されたものなのか、を確認して登録するだけのものなので、銘に刻まれた刀工が手懸けた本物なのか、という真贋までは補償していない、と思われる。
 ただ、銘に刻まれた刀工は、それほど有名ではないらしい。偽造するならもっと名の通った刀工を装いそうなものだが、銘にあるのは、江戸末期の名工と謳われた人物の門人にあたる。愛好家によるサイトを参照すると、名品とは呼ばれないまでも、ある程度はちゃんと値がつきそうな評価対象になっていた。
 恐らく、母方の祖父の手許に渡るより以前、何らかの理由があって、軍刀として拵えを作ったものと考えられる。だから、母は“軍刀”という説明を受けていたのだと思う。
 母に改めて聞いてみたら、ちゃんと登録証もあったらしい。だが、引っ越しや立て替えのどさくさに紛失、詳細が不明になっていたようだった。
 ……刀の存在を無視して業者に処分任せなくて良かった。そして、正直、母方の祖父を侮っていた。ごめん。

帰還。

 手続は1時間もせずに終了、帰りは途中下車してちょっとした買い出しもしてきたのだが、そのあいだ、抱え続けていた刀が重い重い。行きは物理的に重いだけ、なんなら処分対象だろ、くらい考えていたのでちょっと雑に扱っていたけれど、素性が解ってしまったらそうはいかない。行きはときどき床に鞘尻を突いていたぐらいだが、帰りはもはや粗略に扱えず、移動中ずーっとしっかり捧げ持つか、肩に柄を置いて支えていた。心理的に重かった。

保管。

 当初は、自宅にて撮影した写真も添えて記事をアップするつもりでいた。しかし、こうもちゃんと素性があって、多少なりとも値がつきそうな代物だ、と判明してしまうと、迂闊に表に出すのははばかられる。
 登録証を渡される際、譲渡を考える場合のために、各種連絡先を記した紙と、所持する上での注意書きが手渡された。「文化財を継承する者としての自覚を持って保管するように」みたいな文言が見える。
 最悪、処分対象になる可能性も考慮しつつ、しかしそもそもは祖父が入手した形見でもある。こうなった以上、とりあえず私が生きているうちはちゃんと保管しておきます。

 ……予想より気疲れした1日でした。正直、きょうはもうなんにもする気が起きません……。

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