サイレント・ジョー

サイレント・ジョー 『サイレント・ジョー

T・ジェファーソン・パーカー/七搦理美子[訳]

T. Jefferson Parker“Silent Joe”/translated by Rimiko Nanakarage

判型:四六判ハード

レーベル:Hayakawa Novels

版元:早川書房

発行:2002年10月15日

isbn:4152084472

本体価格:1900円

商品ページ:[bk1amazon]

 2002年にアメリカ探偵作家クラブ賞を受賞した、長篇ハードボイルド。

 生後九ヶ月で最初の父に硫酸をかけられ顔に生涯取れない傷を負ったジョーは施設で育ち、五歳のころにウィル・トロナとメアリー・アンの夫妻に引き取られた。長じて保安官補となり、刑務所で看守の仕事をするようになったジョーは、同時にカリフォルニア州オレンジ群の群政委員であるウィルの雑用係兼ボディガードとして、彼の薫陶を受けながら陰に日向に様々な手伝いをしてきた。そんなジョーの目の前で、ウィルが殺された。死ぬ直前、ジョーには詳しい説明もせずに彼を伴い奔走していたジョーは、誘拐された少女サヴァンナ・ブラザックの救出のために動いていたらしい。身代金を要求していたのはアレックス・ブラザック――サヴァンナの実の兄である。ウィルの弔いも片づかぬうちにサヴァンナとアレックスの父でオレンジ群有数の資産家ジョン・ブラザックに呼び出されたジョーサヴァンナの救出に手を貸して欲しいと請われるが、ジョーは誰の依頼でもなく、自らの意思で彼女を救出するつもりだったためにその頼みを固辞する。誘拐事件に群政をめぐる駆け引き、更には慈善事業に纏わるゴタゴタまで縺れに縺れあった事件の糸を、ジョーは一本一本、着実に解きほぐしていく……

 この作品の主人公ジョー・トロナは設定上二十四歳ということになっているが、信じがたいくらいに言動が老成している。記憶を振り返りながら自ら書き記している、という体裁を取っているから、という言い訳もあるが、それ以上に彼の来歴が同世代の人間よりも早く成長させる役割を果たしたことを示すために敢えてそういう描き方を選んだのだろう。赤子の頃に話題の中心となり、一定の年齢以上の人々であれば彼の顔とバッヂを見ればすぐにあのジョー・トロナだと気づくぐらいの有名人となり、常に他人の揶揄や同情などの様々な眼差しに晒され、あからさまなかたちで負った“傷”を意識せずにいられない立場に置かれながら、同時に人格と指導力に恵まれた二人目の父の薫陶を受けてきた、という不運と幸運との綯い交ぜになった生い立ちを、文体と言動とが如実に表現している。従来のハードボイルドに登場する主人公たちよりも遥かに若いが、そのキャラクターと姿勢とは見事にハードボイルドを体現している。

 しかし、そんな主人公が向き合う事件は、一般のハードボイルドのように他者の物語ではなく、間違いなく彼の人生に関わりながら、彼が満足に知ることのなかった様々な事実が絡んでいる。ジョーに様々な雑事の手伝いをさせ、愛する妻の他に幾度も愛人を作ったことさえ開けっ広げにしていた二人目の父が、しかしジョーには決して明らかにしなかった行動の数々。それらはジョーに対して父が説いていたことと食い違いはせずとも、その言葉に基づいて築きあげていたジョーの信念とは異なり、公表すれば父の名誉をも覆しかねないものも含まれている。自らの信念に沿って真相の究明に努めながら、ジョーの胸中では父に対する敬意と、彼に知らせようとしなかった行動の数々に対する反感とが葛藤を繰り返す。そうしたジョーの内面と呼応するように、誘拐や政治的駆け引き、ギャング同士の暗闘さえも絡んで事件の様相は複雑化していき、読むこちらの興味を途切れることなく引っ張っていく。叙述のスタイルも事実や伏線の提示の仕方も巧い。

 読者の目には既に充分なほどの分別を身に付けたように映るジョーだが、しかし彼自身は当初から自らの幼稚さを理解し、事件を通して更にそれを痛感していく。背景が明らかになっていくにつれ判明する二人目の父の、ジョーが知らなかった別の面とどのように折り合いをつけていくのか、最初の父や生母、そして二人目の母とどう対していくのか、更には一連の出来事を介して巡り逢った初めての恋人との付き合い方、そうした様々な状況に戸惑う彼の姿は確かに若く、その悩みが全般に沈鬱な事件の様相に潤いを齎していることにも注目したい。来歴にも拘わらず、ジョーの生き様は決して卑屈になっておらず、その前向きさが事件の展開にも結末にも光を齎し、読んでいるあいだも読み終わったあともこちらに快さを齎している。

 物語はそんなジョーが事件を経て更に成長しながらも、しかし新たな迷いに直面する予兆を匂わせながら幕を下ろす。それでも余韻は決して暗鬱なものではない。ラストの、どこか焦点の絞りきれていないように感じられる数行のセンテンスが、しかしそれ故にいつまでも胸の中に響き続ける。

 圧倒的なリーダビリティと含蓄を備え、その上に豊潤で内に閉じ籠もることのない余韻をも伴った、凄まじいまでの傑作。積んでいるあいだに予測よりも早く文庫化してしまったため慌てて引っ張り出して読んだのだが、放置していた不明が悔やまれる。そんなわけで、気になる方には是非とも、既に店頭に並んでいる文庫版[bk1amazon]を手に取っていただきたい。マイクル・コナリー『シティ・オブ・ボーンズ』のときも書きましたがこんな理由でハードカバーを読む馬鹿は私ひとりで充分です。

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