『まんが日本昔ばなし』第二十回

 5月3日放送分を遅ればせながら鑑賞。内容が続いていないので、こーいう見方が出来るのも助かります。

 旅の僧・安珍熊野大社へ詣でる道中、立ち寄った屋敷で清姫という女性の厚遇を受ける。ひと目逢うなり想いを寄せ合うようになったふたりだが、安珍は熊野で迷いを諭され、帰途にふたたび逢うという約束を反故にして別の路を辿る。だが、清姫はそんな彼を必死に追う……

 ――こうして見ると、修行僧の“悟り”とやらも随分と独善的なものです。約束をしておきながらそれを勝手に反故にして去ろうとしたのですから、そりゃ相手が恨むのも無理はない。周囲の人間との関係性を安易になおざりにして“悟り”などと言うのなら、そんなものに意味はないでしょう。それだけに、激しい想いに身を変えてしまった清姫が不憫でなりません――そもそもそんな男に想いを寄せてしまった時点で運の尽き、という気もしますが。

  • 天狗杉

 夜毎に悪戯をする天狗たちに悩まされるとある寺。勉強嫌いの坊主・富嶽は天狗を追い払うためすべての杉を倒してしまえばいい、と提案するが、当然反対される。そういうことを決定できるのは大僧正だけだ、と言われて、では、と富嶽は大僧正を志すようになる……

 ……幾ら勉強をしても馬鹿は馬鹿、という話か? 学んだことがちゃんと身に付いていれば、天狗との融和を考えもしたでしょうし、天狗を追い払うというだけの目的で杉を大量に倒したとき、どれほどの動植物に影響を及ぼし、下手をすると周辺の土地の状態を悪化させかねない、ということにも目が行くはず。最終的に天狗たちのために一本だけ杉を残して、いい話のように見せかけていますが、それ以前に他の方法を考えるのが本当に賢いやり口ではないのか。

 徳のない人間が学んで偉くなったところで碌なことをしない、という結論にしか見えませんでした……どうせ学ぶならば、その志から学びましょうよー。

 今回は2話とも、作画的には極めて良質だったのですが、内容にどーも納得がいきませんでした。昔話なので、根幹は変えようがない、というのは承知しつつも。

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