『クレイジー・ハート』

『クレイジー・ハート』

原題:“Crazy Heart” / 原作:トーマス・コップ / 監督・脚本:スコット・クーパー / 製作:スコット・クーパーロバート・デュヴァル、ロブ・カーライナー、ジュディ・カイロ、T=ボーン・バーネット / 製作総指揮:ジェフ・ブリッジス、マイケル・A・シンプソン、エリック・ブレナー、レスリー・ベルツバーグ / 撮影監督:パリー・マーコウィッツ / プロダクション・デザイナー:ヴァルデマー・カリノウスキー / 編集:ジョン・アクセルラッド / 衣装:ダグ・ホール / 音楽:T=ボーン・バーネット、スティーヴン・プルトン / 出演:ジェフ・ブリッジスマギー・ギレンホールロバート・デュヴァル、ライアン・ビンガム、コリン・ファレル、ポール・ハーマン、トム・バウアー、ベス・グラント、ウィリアム・マークェス、リック・ダイアル、ジャック・ネイション / インフォーマント・メディア/ブッチャーズ・ラン・フィルム製作 / 配給:20世紀フォックス

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:松浦美奈

第82回アカデミー賞主演男優・助演女優・歌曲部門候補作品

第82回アカデミー賞主演男優・歌曲部門受賞作品

2010年6月12日日本公開

公式サイト : http://www.crazyheart.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2010/06/12)



[粗筋]

 バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)はかつて一世を風靡したカントリー歌手だ。60も近くなった今なお現役で活動している――ドサ回りだが。

 自ら運転するバンでギターと身の回り品のみ運び、バンドは現地で手配する。かつての人気と要領の良さで乗り切っているが、バッドの身体は年老い、ガタがきていた。ふたたびひと花咲かせようにも、その契機さえ見出せない。

 例によってドサ回りで単身訪れたサンタフェで、ピアノを担当したウェズリー(リック・ダイアル)から彼の姪で地元新聞の記者をしているジーン(マギー・ギレンホール)の取材を受けて欲しい、と請われた。予想外にいい演奏をしてくれたウェズリーへの例のつもりで引き受けたバッドだったが、ライブに駆けつける女性とは異なる物腰に、急速に惹かれるものを感じた。

 翌る日、バッドは誘いに応じたジーンとベッドを共にする。しかしすぐに、預けている一人息子のために帰宅しようとしたジーンを、家まで訪れ送り届けると、息子バディ(ジャック・ネイション)に対して子煩悩な一面を示した。ジーンにもその子にも、久しく得ていなかった温もりを覚えたバッドは、すぐにこの地を再訪することを心に決める。

 そんな彼に、久々に大きなステージの話が舞い込んだ――が、しかし、マネージャーから連絡を受けたとき、バッドはそれを拒絶する。何故ならそのステージとは、かつてバッドの弟子であり、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気を誇るトミー・スウィート(コリン・ファレル)の前座だったのだ……

[感想]

 本篇を「カントリー版『レスラー』」と評するのを幾度か目にしたが、確かにその通りだ。

 若い頃に一世を風靡した人物で、年を重ねたいまも現役だが、人気は衰えドサ回りをしている。久々に巡り逢った、心を許せる女性と、ある出来事によって転機を迎えることになる……

 ざっと書き出すといずれもこんな筋だと説明が出来る。では同工異曲なのか、というと、そう簡単には一緒くたに出来ない。

『レスラー』では心臓を患うことで、天職を続けることがそのまま命に影響する、という事態に追い込まれており、トーンは沈鬱だ。それに対して本篇は、アルコール依存性のきらいはあるものの、即、命に関わるといったものではない。諦念と、一方にくすぶる情熱、というニュアンスは共通しているが、対峙する際の立ち位置が大きく異なる。

 本篇を安易に『レスラー』の変奏、と言えなくしている最大の要因は、音楽の存在そのものだ。

 格闘技などと比べると、音楽は年齢による衰えがない――無論、体力の変化で、かつてよりもこなせるステージが少なくなるとか、新鮮な想像力を損ない曲が作れなくなる、といった変化は生じるが、その気になれば生業として続けていくのは、格闘技よりはまだ難しくない。実際、作中でバッドは人生の転機に直面するが、音楽をやめる、という選択肢はなかった。だから悲哀はあるが、切羽詰まったものは感じさせない。

 そしてそれ以上に、映画の中で奏でられる音楽が素晴らしすぎるのだ。BGMとしてもコクがあるが、バッド・ブレイクが観客を前にして披露する演奏は、もはや芝居とは思えない。ライヴ特有の躍動感や一体感がはっきりと伝わり、さながらその場にいるかのような感覚を味わえる。

 それらがきちんとドラマに結びついているのもまた見事だ。弟子トミー・スウィートの前座を務めているシーンでは、バッドの背後からトミーが飛び入り参加し、会場を湧かせるくだりがあるが、それ自体がふたりの関係性を匂わせており、直後の展開に説得力を齎している。終盤、ギターを抱えて曲を作る様子さえ、やたらと印象的だ。

 本作に最も貢献しているのは、歌も自らこなし、実在しないこのシンガーに人間味を与えたジェフ・ブリッジスであることは誰しも異論のないところだと思う。演奏中の颯爽とした佇まいと、日常におけるだらしなさと年輪を重ねた男の奇妙な渋みとの入り混じった人物像を洒脱に、貫禄充分に演じ切っている。ミッキー・ロークのように、役柄とジェフ・ブリッジス本人のイメージがまるっきり重なっているわけではないからこそ彼の実力を実感させ、ミッキー・ロークは逃したオスカーを獲得できたのは、このあたりの違いがものを言ったのかも知れない。

 ストーリー自体はごくシンプルだ。こういう人物ならいずれやらかすだろう、と誰しも考えそうな失態を本当に犯して、手にしかけた幸せを取り落とし、そして這い上がろうとするくだりもオーソドックスといえる。だが、そのあとの成り行きに、意外という印象を受けるかも知れない。

 しかし、安易に流されたりせず、どちらが幸せに繋がるのか、真摯に考えた結果であることは、登場人物の表情からも窺える。そこで強引に走るのもまたドラマだが、本篇のような形で受け入れるのもまた潔さ、というものだろう。

 少し格好よすぎるラストも、しかし全篇通してカントリーの流れるこの作品にはしっくり来る。終始悲哀に満ち、一瞬宗教的な恍惚感で幕を引いた『レスラー』に較べると、ある意味で俗っぽいとも言えるが、本篇は意識してそれを許容する。己のどうしようもない部分さえ受け入れているからこそ格好いい、それを人物像のうえでも作品という形でもきっちり体現した、味わい深いドラマである。

関連作品:

アイアンマン

レスラー

ダークナイト

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