『ベン・ハー』

『ベン・ハー』 ベン・ハー 特別版 [DVD]

原題:“Ben-Hur” / 原作:ルー・ウォーレス / 監督:ウィリアム・ワイラー / 脚本:カール・タンバーグ / 製作:サム・ジンバリスト / 撮影監督:ロバート・L・サーティース / プロダクション・デザイナー:ヴィットリオ・ヴァレンティーニ / 編集:ジョン・D・ダニング、ラルフ・E・ウィンターズ / 衣装:エリザベス・ハファンデン / 第二班監督:セルジオ・レオーネ / 音楽:ミクロス・ローザ / 出演:チャールトン・ヘストン、ジャック・ホーキンス、ヒュー・グリフィス、スティーヴン・ボイド、ハイヤ・ハラリート、マーサ・スコット、キャシー・オドネル、サム・ジャッフェ、フィンレイ・カリー、フランク・スリング、テレンス・ロングドンアンドレ・モレル、マリナ・ベルティ、ジュリアーノ・ジェンマ / 配給:MGM

1959年アメリカ作品 / 上映時間:3時間42分 / 日本語字幕:岡枝慎二

1960年4月1日日本公開

2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [amazon]

午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2010/09/10)



[粗筋]

 1世紀のはじめ頃、ユダヤローマ帝国によって支配されていた時代。

 エルサレムに、ローマ帝国軍の新たな司令官として、エルサレムに生まれ育ったメッサーラ(スティーヴン・ボイド)が派遣される。ユダヤの高貴な一族の血を引くジューダ・ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は、かつて命を救われ、親友となったメッサーラの帰還を待ちわびていた。

 優しい心根の持ち主であるメッサーラであれば血気盛んなローマ帝国との調停を快く仲介してくれるだろう、というジューダの思惑は、だが儚くも裏切られる。ローマ皇帝に心酔し、戦争の快楽を覚えたメッサーラは、ユダヤ人の誇りなど一顧だにしようとしなかった。平和的解決を望まない者もいる、と告げると、その者の名前を教えろ、と迫ってきたメッサーラに、ジューダは絶交好を宣言した。

 そして、悲劇は起きる。新しくユダヤに赴任した総督の姿を眺めていたジューダの妹が屋根瓦に触れた瞬間、それが滑落して、総督に傷を負わせてしまったのだ。

 メッサーラは自らの厳格さを証明するためにジューダの嘆願を無視し、ジューダの母も妹も牢獄に閉じ込め、ジューダをガレー船の漕ぎ手――つまり奴隷として放逐する。ジューダは別れ際、メッサーラに誓った。いつか必ず戻って、復讐を果たしてみせると。

 それから3年後。海路の安全を脅かす海賊掃討のために送り出されたアリウス(ジャック・ホーキンス)は、寿命僅か1年と言われるガレー船の漕ぎ手の中に、3年を生き延び、未だ瞳に憎悪の炎を灯した男を見つける。その男こそ誰あろう、苦難の日々を乗り越えてきたジューダであった……

[感想]

 本当に過去の作品についてはタイトルや大まかな知識ぐらいしか持ち合わせのない私にとって、本篇はずいぶん前から残されていた大きな課題のひとつだった。こうした過去の名作を上映する機会が決して多くないことと、いざ上映されていても、やはり4時間近い長尺には尻込みせざるを得ず、なかなか見ることは適わなかったが、2010年にTOHOシネマズ系列を中心に開催された『午前十時の映画祭』のラインナップに加わっており、ちょうどひたすら映画が観たい時期に重なっていたこともあって、意を決して劇場に足を運んだ。

 そうして、ようやく目の当たりにした本篇は――ただただ圧倒された、という他のない、確かに無類の大傑作であった。

 確かに4時間近い尺はかなり重みがあるが、しかし観ていることは苦にはならない。壮麗なセットと多くのエキストラによって構築された1世紀前後のローマやエルサレムの様相は観ているだけで圧倒され、否応なしに魅了されてしまう。

 如何にも古めかしく芝居がかった立ち居振る舞いは、しかしこうした背景にはしっくりくる。きちんと台詞を積み重ね、人物像を克明にして築きあげられるドラマは、実のところ決してスペクタクルだらけではない物語に牽引力と、途方もない厚みを齎している。

 かなり素直ではあるが、しかし無駄のない人物配置も見事だ。序盤において、一見添え物のように描かれるジューダと、もともとは彼の家の召使いであった人物の娘エスター(ハイヤ・ハラリート)との淡い交流は、しかし後半、艱難辛苦の果てにエルサレムへと帰りついたジューダのドラマを支える柱として機能する。しかもそこで描かれるのは単純に甘いロマンスではなく、もっと奥深い、煩悶であり懊悩だ。昨今の安易な大作ドラマなどより、遥かに深遠な使い方をしている。

 大まかな知識だけで鑑賞したせいもあるのだが、本篇で私がいちばん驚いたのは、思いの外宗教色が濃いという点だ。そもそもプロローグがいきなりキリスト誕生の話であるし、その後も折に触れてキリストの振る舞いが軽く挿入され、それが最終的には主人公ジューダと彼を巡るドラマに密接に絡んでいく。これを書いている時点の、日本人としての感覚と照らし合わせるとさすがに大時代的に感じられるが、しかし本篇の場合は物語や主題と完璧すぎるほど溶けあっているので、感情的にはともかく、理屈で否定することは難しい。あれほどの苦しみを味わい、逃げ場を失ったジューダやその周囲の人々にとって、これ以上に救われる結末はなかっただろう。その価値観に否定的であっても、物語としてそこに至るまでの道筋は実に精密に整えられているのだから、溢れてくるカタルシスは拒絶できない。

 そして、これほどドラマとして練り上げられながら、スペクタクルもまた傑出している。中盤、ガレー船と海賊との戦いのひと幕もさることながら、やはりクライマックスの戦車競技は、映画好きとしてこれを観ずにいたことが悔やまれるほど珠玉の出来映えだ。すべてを実物で描いているからこその迫力、様々なアングルや技術を混在させることで演出する強烈なスリル、その息を呑むような決戦のなかでもきちんと捉えられる繊細な心情描写。4時間という長尺の中にあっては決して大きな分量を占めていないが、序盤から描かれたジューダとメッサーラの友情と憎悪のドラマのクライマックスに相応しく、映画ファンの心に深く刻まれているのも宜なるかな、だ。

 ……どれほど語ろうと今更の感は禁じ得ないし、陳腐な表現しか出て来ないのが歯痒いが、致し方ない。製作から半世紀を経た今もなお燦然と輝き、恐らくは“映画”という表現手法が存在する限り永遠にその名を残す、まさに歴史的な1作である――なんてことももう、観た人ならば解りきっていることだろうけれど。

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