『白い肌の異常な夜』

白い肌の異常な夜 通常版 [DVD]

原題:“The Beguiled” / 原作:トーマス・カリナン / 監督&製作:ドン・シーゲル / 脚本:ジョン・B・シェリー、グライムス・グライス / 撮影監督:ブルース・サーティース / 美術:アレクサンダー・ゴリツェン / プロダクション・デザイナー:テッド・ハワーズ / 舞台装置:ジョン・P・オースティン / 編集:カール・ピンジトア / 音楽:ラロ・シフリン / 出演:クリント・イーストウッド、エリザベス・ハートマン、ジョー・アン・ハリス、ダーリーン・カー、ジェラルディン・ペイジ、メエ・マーサー、パメリン・ファーディン、メロディ・トーマス・スコット、ペギー・ドライヤー、パッティ・マティック、チャーリー・ブリッグス、ジョージ・ダン、チャールズ・マーティン、マット・クラーク、パトリック・カリントン、バディ・ヴァン・ホーン / 配給:Uni×CIC / 映像ソフト発売元:KING RECORDS

1971年アメリカ作品 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:?

1971年12月4日日本公開

2009年7月8日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video(特装版):amazon|DVD Video(通常版):amazon]

DVDにて初見(2010/11/22)



[粗筋]

 南北戦争末期。南軍側に属する女子寄宿学校に身を寄せている少女・エイミー(パメリン・ファーディン)は、塀の外に出てキノコ狩りをしているさなか、傷ついた北軍兵士を発見する。どうしても見捨てられなかったエイミーは彼を学校へと連れ帰り、助けを求めた。生徒や奴隷のハリー(メエ・マーサー)らからは反発も強かったが、マーサ園長(ジェラルディン・ペイジ)は道義からその兵士――ジョン・マクバーニー伍長(クリント・イーストウッド)を看病することにする。

 やがて恢復していったマクバーニーだが、彼の存在は学校の女たちに思わぬ影響を及ぼしていった。学校で育ち、男を知らぬまま教師になったエドウィナ(エリザベス・ハートマン)がマクバーニーと惹かれあい、生徒のキャロル(ジョン・アン・ハリス)はマクバーニーに対して色目を使い、マーサ園長でさえもマクバーニーの美男ぶりに魅せられ、眠っていた女としての欲望を目醒めさせる。

 当初は、身体が恢復次第、北軍の収容所に送り出すつもりでいたマーサ園長だが、やがて彼に昼間の外出を許し、遂には閉じ込めていた音楽室の鍵も開けてしまう。だが、そのことが思わぬ事態を学校の中に引き起こす……

[感想]

 自ら興した制作会社を経由して、内容を吟味するようになったあたりから、クリント・イーストウッドの出演作には変化が生じるようになった、と捉えている。自らの持つ俳優としての魅力、個性を如何にして活かすか、それをどうのちに繋げていくか、という点を考慮して、作品を選ぶようになっている、と感じられるのだ。『荒鷲の要塞』ではリチャード・バートン、『真昼の死闘』ではシャーリー・マクレーンとの化学反応を試し、そして本篇でより過激な実験を試みた、というふうに映る。

 これに先行する作品群と較べ、本篇の作りは実に特異だ。イーストウッド自身が演じる人物像は従来と大きく変わっていないし、時代背景も彼を育ててきた西部劇の枠の中に嵌る南北戦争が横たわっている。だが、周りを囲むのは女性ばかり、イーストウッドも足を負傷して身動きが出来ない。

 アクションも緊迫したサスペンスも期待できそうにないシチュエーションにも拘わらず、本篇には終始怪しいムードが漂っている。禁欲的な生活を送る女性達が、マクバーニー伍長という色香を放つ男に触れて、心を乱される。マーサ園長やキャロルらの心の声をモノローグで綴る演出は古めかしいが、しかしそうして少々あからさまに提示された彼女たちの心情が、物語の進行に従い、学校内の空気の歪みを導き出す。決して流血沙汰や命のやり取りなどはないのに、人間関係の入り乱れ複雑化していく様が、緊迫感に繋がっていく。

 その悠揚としたサスペンス描写も出色だが、しかし白眉はやはり終盤だ。生じていた歪みが凝縮された一夜に生じる凄惨なドラマ。本作までにクリント・イーストウッドが演じてきた人物像を踏襲したマクバーニー伍長がこういう運命を辿る、ということ自体が、物語の衝撃をより暗く重々しいものにしている、という意味で、本篇はやはり『荒鷲の要塞』などと同様に、非常に考慮されて選ばれた作品であることが窺える。

 ひとりの男と複数の女たちの欲望が織り成す壮絶な愛憎劇として傑出した出来映えだが、しかし本篇の何よりも優れた点はラストシーンにこそある、と思う。あれほどの事態があったにも拘わらず、女たちはまるで物語の最初のときのように、穏やかで節度のある振る舞いをしているように装う。それが虚飾であれ本質であれ、表情や物言いの向こう側にある心情を想像すると、怖気を覚える。漫然と眺めていると別段心に響くところもないままに終わってしまうが、この奥行きの豊かさは、初期のクリント・イーストウッド作品としては突出している。

 あからさまな象徴として用いられる、羽根の傷ついたカラスや、門の内と外でありキノコ狩りであり、といったモチーフの反復など、描写としては古典的な部類に属するが、着実に効果を上げており、良質のスリラーの雰囲気を作品に添えている。

 これ以前のクリント・イーストウッド出演作と並べると、彼自身の立ち位置も含め、あまりの違いに驚き、場合によっては拒絶反応を起こしかねないだろう。だが、恐らくはそういう反応まで想定し、彼は覚悟の上で本篇に挑んでいる。この挑戦が、のちのドン・シーゲル監督とのコンビによる金字塔『ダーティハリー』に繋がり、更には2000年以降、監督としての大躍進にも繋がっているのは、たとえば『真夜中のサバナ』や『ミスティック・リバー』といった、監督専業となったイーストウッドが繰り出した特異なサスペンス映画と比較してみると実感できるはずだ。そう考えていくと、本篇の意義は大きい。

 しかし、そんなふうにイーストウッド作品のなかでの位置づけを考慮しなくとも、本篇は傑作であると思う。前述したように、女性側の心理描写に優れ、そこから滲み出す恐怖の形は、現在に至っても決して類例は多くない。強いて挙げるなら、『黒い十人の女』あたりがあるが、終幕後に覆いかぶさる闇は本篇のほうがより深い。人間の欲望と、特殊な人間関係のなかに醸成される狂気をじっとりと、おぞましく描き出した、稀有な傑作である。イーストウッド作品のイメージに囚われていちど拒絶反応を起こしてしまった人も、時を経て虚心になって観直せば、違った衝撃を味わえるかも知れない。

関連作品:

奴らを高く吊るせ!

マンハッタン無宿

荒鷲の要塞

真昼の死闘

戦略大作戦

真夜中のサバナ

許されざる者

ブラッド・ワーク

ミスティック・リバー

チェンジリング

グラン・トリノ

黒い十人の女

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