『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』

『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』

原題:“Survivre avec les loups” / 原作:ミーシャ・デフォンスカ(ミュゼ・刊) / 監督・製作:ヴェラ・ベルモン / 脚本:ヴェラ・ベルモン、ジェラール・モルディラ / 撮影監督:ピエール・コットロー / 美術:オレリアン・ジュネックス / 編集:マルティーヌ・ジョルダーノ / 装飾:ミシェル・コンチェ / 音楽:エミリー・シモン / 出演:マチルド・ゴファール、ヤエル・アベカシス、ギイ・ブドス、ミシェル・ベルニエ、ベンノ・フユルマン、アンヌ・マリー・フィリップ、フランク・ド・ラ・ペルソンヌ / 配給:TORNADO FILM

2007年フランス、ベルギー、ドイツ合作 / 上映時間:1時間59分 / 日本語字幕:星加久実

2009年5月9日日本公開

公式サイト : http://www.misha-wolf.com/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2009/05/26)



[粗筋]

 1942年、ベルギー、ブリュッセル。ドイツ系ユダヤ人の父ロイヴン(ベンノ・フユルマン)とロシア人の母ゲルーシャ(ヤエル・アベカシス)のあいだに生まれた少女ミーシャ(マチルド・ゴファール)は、過激化したナチスユダヤ狩りから逃れるため、隠れ家を転々としていた。

 それでも何とか教育を受けさせようと父は奔走し、ユダヤ人を匿うシステムを用意している学校にミーシャを通わせる。だが、際限のない逃亡生活のあいだ頻繁に転校を繰り返すことに嫌気が差していたミーシャは、誰よりも愛する母のそばに居たがった。逃げ惑いながらも、この頃のミーシャはまだ幸せのなかにいた。

 しかし、その生活はある日突然、崩壊する。なかなか迎えに来ない父の代わりに現れた女性が口にしたのは、いざというときの符丁――その台詞を口にした人に黙ってついていくよう、前々から父に言い聞かされていたミーシャは、両親がどうなったのか一切解らないまま、郊外の町へと身を移す。

 ミーシャはある一家に引き取られたが、それまで隠れ家を提供してくれた人々と異なり、この家族は決して善意ではなく、金目当てで協力していた。ミーシャを無理矢理モニクと改名させ、名目上は娘にすると言いながら、実際は召使い同様に扱う。遠方にあり、身分証の偽造や食糧の調達を手助けしてくれる老夫婦のもとへの使いも、すべてミーシャの仕事にしてしまった。

 ミーシャにとって、引き取られた一家よりも、エルネスト(ギイ・ブドス)とマルト(ミシェル・ベルニエ)という老夫婦の許のほうが遥かに居心地が良かった。使いに来るたびエルネストの畑仕事を手伝い、飼い犬のパパ・イタとママ・リタとも親しくなり、ひとり息子を失った心の傷に未だ囚われるマルトとも絆を強めていった。

 だが、日々ますます苛烈になるユダヤ人迫害と、戦争の影響で物資の供給が滞り始めると、ミーシャを引き取っていた家族は遂に彼女を売り渡すことを決める。ミーシャはエルネスト夫妻のもとに逃げこむが、狡猾な一家は夫婦についても通報済であった。

 身を潜め摘発を免れたミーシャは、東を目指して歩きはじめる。ただ、エルネストたちが朧気に、母たちは東に連れ去られた、と語っていたから、というそれだけの理由で……

[感想]

 第二次世界大戦下、ナチスが主導したユダヤ人迫害の様子は幾度も映画の題材として採り上げられてきた。だが、本篇を観たあとで思い浮かべると、最初から最後まで子供の目線から描いた作品というのはあまり記憶にない。その点からして本篇は特殊である。

 加えて、この作品ほどリアルに、ユダヤ人迫害に絡む子供たちの姿を描いているものも咄嗟に思い出せない。協力的な学校側の手配で、警察による身体検査が行われる前に隠し部屋に匿われているとき、互いに素性を知りすぎないよう敢えて名乗らないところであるとか、ミーシャ同様に成り行きで両親からはぐれてしまったと思しい子供たちが森のなかで徒党を組んで必死に生き延びている様であるとか、連行されるユダヤ人たちを凌礫し暴言を吐きかける姿であるとか、こういう子供たちのいじましさ、無邪気な残酷さがやけに印象に残る。

 ヒロインであるミーシャからして、決して大人の望むような“いい子”ではないのだ。隠れ家に潜んでいるとき、窓の下で楽しそうに遊ぶ子供たちに向かって唾を吐きかける。父が勉強することを望んでも、母のそばに居たがる。流浪の旅が始まったあとも、「お腹空いた」と訴えるばかりで、母の行方の手掛かりを求めるような行動はほとんど見せていない。どうしようもなくなるとミミズを頬張り花をむしり、農家の牛の乳を直接飲んで、生肉さえも貪る。子供があの過酷な境遇でどうやって生きていこうとするのかを、容赦なく活写する。

 題名から、かなり極端な成り行きを想像していたのだが、ミーシャが放浪に至るまでの経緯はとても自然だ。何故ああも過酷な道程を選んだのか、まだ真実も現実も知らない子供ならではの思考として、充分理解できる。

 ただ、話作りとして意外に感じられるのは、母親がロシア人であることや、匿われた郊外の町で意気投合した老人エルネストから得た教訓が、放浪のなかで活かされるのかと思って観ていると、ほとんど役立っている気配がない。唯一有効だったと思われるのは動物の馴らし方ぐらいのもので、使い途のありそうだった植物の見分け方、ごくたまに触れる機会のあったはずのロシア語のヒアリングも身についていないようで、せっかく描写があるのに伏線として放置されている。

 しかしこれらもまた、子供らしい無邪気さ、誰も教えてくれない境遇であったが故の応用力の乏しさと捉えると、より本篇のリアリティを補強している、とも取れる。解釈次第ではあるが、少なくとも作品の力強さを損なう要因にはなっていない。

 ただ両親に巡り会うことだけを願って旅を続けた結果、少女はごく自然に狼の群れに溶け込んでいく。生き延びようとそうしたわけではなく、たまたまはぐれていた白い狼が懐き、いちど別れたあとで再会した狼に家族がいたから、共に旅をすることになった。狼と旅をする、という表現だけだと衝撃的だが、そこに不思議はない。狼は警戒心が強く、よほど餓えでもしない限り人間に手出しはしないし、記憶力があるので、敵ではないと認識した相手を襲うことはないのだ。

 そうして信じがたい、けれど理解の出来る旅路も、最後はゴールが用意されている。この結末もまた、戦争というものの現実を反映して、決してハッピーエンドではない。観終わったあと、胸の奥に苦いものが沸いてくるのを誰しも妨げられないだろう。それでも、不思議とそこには救いがある。過酷な運命のなかで少女に手を差し伸べた人々の姿が快く蘇るとともに、何より人も獣も変わることのない、生きようとする意思の力強さに、活力を齎されるような心地がするのだ。

 ひとつだけ、2年以上旅の空にあったにしては、序盤と終盤とであまり体格に差がないのが気になるのだが、まともな食糧を口に出来なかっただろうことを思うと、2年間ほとんど成長しなかった可能性もあり得る。いずれにせよ、そのくらいは瑕疵として許容してもいい範囲だろう。

 本篇は戦時を扱った映画としては珍しく、凄惨な場面が少ない。調理もしていないものを口に運ぶミーシャの姿はいささかショッキングではあるし、敢えて目を逸らしたであろう部分に存在する暴力には微かな怖気を禁じ得ないが、あまり残酷なものを見せたくない、でも冒険というものの過酷さは知っていて欲しい、と願う人が子供を連れて行くには最適の作品だろう――見せたあとで色々説明は必要だろうが、それもまたいい経験となるに違いない。

 特異な存在感を放つ戦争映画であると共に、“本物”の手触りのある冒険映画の秀作である。

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