相変わらず色々キッツキツですが、午前十時の映画祭16だけは押さえます。諸々のスケジュールを考慮して、今回は作品の入れ替えがあったばかりのこのタイミングで出かけてきました。
……というのに、ちょい寝坊してしまった。
かなり早い時間にいちど目が覚めたのです。が、「まだ早すぎるなー」とゴロゴロしていたら、あ、っと言う間に記憶が途切れ、母に起こされたときには、まだ間に合うけど支度をむちゃくちゃ急がないと間に合わない時刻。いつもより早く食べて、大急ぎで洗顔などを済ませて出発。
今日も今日とてTOHOシネマズシャンテにて鑑賞した午前十時の映画祭16今コマの作品は、小泉八雲の小説より『雪女』『耳無し芳一の話』など4作を映像化した『怪談(1965)』(東宝初公開時配給)。
基本的に尺の短い八雲の作品なので、長篇にするとだいぶたくさん膨らまさねばならない。ですから、オムニバスのように複数の作品をまとめて映画化するのは正しい選択だと思う。
全篇通して魅せられるのが映像です。幻想的なオープニングもさることながら、大半のジーンがセットで撮影されている。『黒髪』の京の邸宅の広大ながら朽ちた佇まいから、『雪女』の序盤で迷い込む雪原の非現実的なヴィジュアル、『耳無芳一の話』の芳一が誘われる内裏の光景などは、もはや映像作りに執念すら感じます。
最近の映像化ではあえて違う展開や要素を加えることも多い八雲作品ですが、本篇は最後の『茶碗の中』を除けば、基本的には手を入れていない。ただ、心情や情景を、まるで歌舞伎や能楽を彷彿とさせる丁寧な間と、効果音も一体となった音楽、そして前述の執念のような舞台装置のもとで描いている。昨今のホラー映画的な怖さよりも、しんしんと染みいってくるような情念を感じます。怖さももちろん、哀しみや怨念も匂い立ってくるような演出が丁寧で強い印象を残します。
舞台やヴィジュアルがあまりにも独創的ですが、そこに濃密に封じられた日本文化の芳香も含め、小泉八雲作品の映像化における理想解のひとつだと思います。なんでこれまで観てなかったのか……シンプルに、機会がなかった、というのがいちばん大きいんですけど。
鑑賞後はちょこっと本屋へ。東野圭吾の没後初めての新刊でありガリレオシリーズのもしかしたら最終巻となるであろう『永遠の記憶』、初版のうちに買っておくかなー……と思ったら、数が少ない。そして平台には、帯の色で何刷か見分けられるよう説明が書かれていて、照合すると、初版はない。んでは急ぐ必要はないし、そもそも数も少ないから、急ぎ買いたい人が買うだろうからいいや、と断念。もうひとつ探していたものは、まさかの福耳ありで、他に在庫はなかったため、こちらも別の機会に譲りました。
昼食は今回も日本橋ふくしま館のイートインです。一時期よりも穏やかとはいえ、今日は快晴で気温も高い。歩いて移動すると途中でへばりそうなので、このあいだと同様、電車で移動しました。
いま出店しているのは、老麺まるやに次ぐお気に入りの坂新。なにせ映画が3時間以上あるので、お店に到着した時点で13時半近い。座席にも余裕があったので、ゆっくりと肉そばを堪能いたしました。
帰りには腹ごなしに少し歩くか、と当初は考えてましたが……やっぱりしんどいのには違いないので、やめました。最近、土曜日は夕方に『刑事コロンボ』の再放送を観るのが習慣になってますが、週によって開始時間が違っており、出遅れると仮眠を取る暇もなくなってしまうのです。故に、早く帰るに限る。
ちなみに今日の『刑事コロンボ』は『秒読みの殺人』、放送開始は16時20分……わりとギリギリではありましたが、仮眠もちょこっとだけ取ったうえで、全篇楽しめました。もう何回も観てるけど、何回観ても面白い。

TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『怪談(1965)』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。


コメント