『アーヤと魔女』

TOHOシネマズ上野、スクリーン4入口脇に掲示された『アーヤと魔女』チラシ。
TOHOシネマズ上野、スクリーン4入口脇に掲示された『アーヤと魔女』チラシ。

英題:“Aya and the Witch” / 原作:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ / 監督:宮崎吾朗 / 脚本:丹羽圭子、郡司絵美 / 企画:宮崎駿 / プロデューサー:鈴木敏夫 / キャラクター&舞台設定原案:佐竹美保 / キャラクターデザイン:近藤勝也 / CG演出:中村幸憲 / アニメーション演出:タン セリ / 背景:武内裕季 / 音響演出&整音:笠松広司 / アフレコ演出:木村絵理子 / 音楽:武部聡志 / 主題歌&エンディング・テーマ:シェリナ・ムナフ / 声の出演:平澤宏々路、寺島しのぶ、豊川悦司、濱田岳、シェリナ・ムナフ / アニメーション制作:スタジオジブリ / 配給:東宝
2021年日本作品 / 上映時間:1時間22分
2021年8月27日日本公開
公式サイト : https://www.aya-and-the-witch.jp/
TOHOシネマズ上野にて初見(2021/9/6)


[粗筋]
 アーヤ(平澤宏々路)は赤ん坊の頃から、孤児院《子供の家》で暮らしている。彼女にとってここは最高の居場所だった。隅々まで知り尽くしていて、院長やコック、友達の性格や行動を把握しているアーヤは、何もかも思い通りにコントロール出来る。《子供の家》には里親候補がしばしばやって来るが、アーヤは絶対に選ばれないよう、面会の場では憎たらしい顔をすることを心懸けていた。
 ある日、ベラ・ヤーガ(寺島しのぶ)という派手なおばさんと、異様に背の高いマンドレイク(豊川悦司)という2人組が《子供の家》に里子を探しにやって来た。いつも通り憎たらしい顔をしていたアーヤだが、何故かベラ・ヤーガは彼女を選んでしまった。渋々、アーヤはふたりの家に引き取られる。
 実はベラ・ヤーガは魔女だった。身寄りのない子を幸せにすることなど考えておらず、ただ助手として子供を探していた、というベラ・ヤーガに、「魔法を教えてくれるなら助手になってあげる」とアーヤは提案する。
 だが、ベラ・ヤーガはそんな提案に耳など貸さず、アーヤをこき使った。いざとなれば逃げ出すつもりだったアーヤだが、魔法により玄関は隠され、窓は貼りつけられ、完全に閉じこめられている。逃げ道はなかった。
 しかし、それで諦めるようなアーヤではなかった。こき使われながらもベラ・ヤーガのアンチョコを覗き見たり、魔法薬を調合する部屋を探ったり、と試行錯誤を繰り返す――


[感想]
 かのスタジオジブリとして初の3DCG作品である――が、個人的に、そこはそれほど驚くことではない、と感じる。3DCGでこそないが、セルでの描画にデジタル加工を施すことは『もののけ姫』で既に行っており、高畑勲監督は『ホーホケキョ となりの山田くん』と『かぐや姫の物語』で、デジタル作画だからこそのアニメーション表現に意識して挑戦を試みている。要は、キャラクター表現で3DCGを採用するか否か、という問題に過ぎず、ジブリが今後も活動を続けるとしたら、次世代で選択肢に挙げる可能性は充分にあり得た。ジブリの外で『山賊の娘ローニャ』という、3DCGによるテレビアニメを手懸けていた宮崎吾朗監督ならば尚更だろう。
 ふたたびジブリとタッグを組んでの本篇は、いい意味でジブリらしく、そしていい意味でジブリの定型からもファンタジーの定型からも外れた、意欲作となっている。
 とは言いつつ、手放しで褒めにくいのは、もともと続篇への含みを持たせたかったからなのか、あからさまな疑問や謎が、ろくに解決もしないまま残されている点である。どこが、と明確に書くとネタばらしになるため控えるが、きちんと話を追って鑑賞しているひとほど、本篇の幕切れに釈然としないものを感じる可能性は高い。
 それでも私が本篇を評価したいのは、魔女や孤児、というファンタジーではお定まりのモチーフを扱いながら、決まり切った扱いに陥っていないことだ。自らの境遇を恨むことなく積極的に受け入れ、自分にとって快適な生活を築くことに貪欲なアーヤ。初登場時こそステレオタイプの悪役めいた風情を醸しているが、アーヤに手玉に取られていくうち、次第に愛嬌が現れてくる。あからさまに悪魔と思しき外観、かつ最後まで正体が明確でないマンドレイクでさえも、愛おしく見えてくるほどだ。決して出番の多くない小さなデビルでさえ、往年のジブリ映画に登場するまっくろくろすけやコダマのような可愛さを感じられるのだから、本質的にジブリの伝統を受け継いでいると見ていい。
 魔女や悪魔のモチーフの背後に、ヨーロッパでの伝承を正しく踏まえ、端整なファンタジーとしての体裁を整えているが、本篇の筋書きは見事に王道から逸脱していく。そしてそれが展開、人物描写と矛盾せず、納得のいく爽快感を生み出している。
 この爽快感に大きく寄与しているのは、劇中でも重要なモチーフとして登場するロックナンバーだ。オープニングにも用いられ、異様にクールな映像のなか、シルエットで躍動するアーヤの魅力をまず観客に植え付ける。このイメージが、劇中で同じ曲が流れた際の昂揚感、躍動感を演出する。アーヤ自身もこの曲がお気に入りになるのだが、プロローグ部分の出来事を知っている観客にとっては、それさえちょっとした感慨をもたらす――もっとも、だからこそ、そのリンクが劇中で明確に触れられないことに引っかかりを覚える一因にもなっているのだが。
 もともと本篇はNHKの特別番組として放送され、そののちに劇場公開されたものである。或いは、続篇の計画があって、そのために語らない部分を残していたのかも知れない。だが、たとえそうであっても残し方が巧いとは言えない。掘り下げるために残した余白だとするなら尚更だ。だが、キャラクターの魅力やひとつひとつのやり取りの印象深さ、そして王道の設定にひねりを加えた実験性と、意欲と洗練を感じさせる作りにもなっている。現在、宮崎駿監督が引退宣言を撤回して着手した長篇が控えてはいるが、それ以外に予告された動きのないスタジオジブリの、新たな展開を予感させる作品である。


関連作品:
ゲド戦記』/『コクリコ坂から
風の谷のナウシカ』/『もののけ姫』/『千と千尋の神隠し』/『猫の恩返し』/『ハウルの動く城』/『崖の上のポニョ』/『借りぐらしのアリエッティ』/『風立ちぬ』/『かぐや姫の物語』/『思い出のマーニー
キネマの神様』/『ミッドウェイ(2019)』/『引っ越し大名!
オズの魔法使』/『オズ はじまりの戦い』/『コララインとボタンの魔女 3D』/『メアリと魔女の花』/『魔女見習いをさがして』/『魔女がいっぱい

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