ハンニバル・ライジング(上)(下)

ハンニバル・ライジング(上)

ハンニバル・ライジング(下)

ハンニバル・ライジング(上)(下)』

トマス・ハリス/高見浩[訳]

Thomas HarrisHannibal Rising”/translated by Hiroshi Takami

判型:文庫判

レーベル:新潮文庫

版元:新潮社

発行:平成19年4月1日

isbn:(上)9784102167064

   (下)9784102167072

本体価格:各514円

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レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』『ハンニバル』と語り継がれてきた、稀代の“食人鬼”ハンニバル・レクター。彼は如何にして、ただの人間から化物へと脱皮していったのか? 時計の針を巻き戻し、1941年を起点にその前半生を綴り、レクターの人格形成の原点にある出来事を描いた、怪物誕生の物語。

 リトアニアにある宏壮な城で何不自由なく育ったハンニバルの運命は1941年のドイツ軍侵攻によって変質する。森のなかのロッジに立て籠もりながらそれでも文化的な暮らしを営んでいたレクター一家は、だが思わぬ出来事で彼と妹を残して全滅する。そんな彼らを発見したのは、対独協力者の仮面を被って生き抜く戦場のハイエナたちだった。九死に一生を得、孤児院に収容されたのは、ハンニバルただひとり――記憶の狭間に息を潜めた凄惨な出来事が、やがて青年となったハンニバルを復讐へと駆り立てていく……

 内容的には上の説明通りであるが、それこそ『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』のような論理と碩学が支えるサイコ・サスペンスを期待すると大いにアテが外れる。無垢な少年が戦禍を経て悪夢の記憶を胸に宿し、そこから脱却するなかで“怪物”へと変わっていくさまを、成長物語に似た文法で描いた、広義の青春小説と受け止めるべきか。もう少し派手に考えてもこれは冒険小説と呼べるぐらいのもので、シリーズ先行作とは大幅に趣が異なる。

 それ故に、『ハンニバル』においてレクターの過去を描いていることが、彼から神秘性を剥奪していると評価できなかった人にはとことん受け入れられない作品であろう。あの作品でちらつかせていた過去を膨らまし、レクターが本質的に歪みを孕んでいたことを匂わせつつも、“怪物”に変容するさまを描き出してしまった本編は、やはりあの優れた旧作の受け止め方をも変質させてしまう危険を抱えている。その存在感を守り抜きたいと思うならば、本編は手に取らない方が無難だ。

 旧作とジャンル的、作品の主題的に連結するものではなく、あくまで作中人物レクターの物語を拡張しただけ、と割り切って受け止められるならば、純粋に物語として面白く読める。戦時中にあってなお平穏な生活を送っていた少年が、まさに悪夢としか言いようのない出来事に遭遇する。その傷を抱えたまま成長したハンニバルは、やがて生き残った叔父に引き取られ、その妻である日本人・紫夫人に対する憧れとともに、医学生への道を歩んでいく。だが、その過程にあっても、既に血に対して特殊な意識を持っていた彼は初めての殺人に手を染め、必然的にあの森のなか、ただふたり取り残された妹を奪っていった者たちへの復讐に駆り立てられていく。凄惨だが理路整然とした流れは、肝心の記憶が封印されていることでもどかしさを宿しつつ、着実に血の復讐へと向かっていく。

 如何せん、謎解きとして読むと、封印された記憶のなかで何が起きていたのか容易に察せられるのが物足りなく、逆にレクターが“怪物”に変容した要因としてはいまひとつ説得力に欠くように感じられる。だが、解説で訳者が語っているように、もともとこれは全てを説明するのではなく、『ハンニバル』において仄めかした過去を、“怪物”へと至る変化を織り交ぜて綴ったに過ぎないのだろう。まだ、レクターの嗜好がどこから来たのかは説明され尽くしていないし、この物語から彼がひとたび捕縛されるに至る『レッド・ドラゴン』の物語までのあいだに、どのような犯行を重ねていったのか、という空白が残されている。

“ライジング”と称しながら、まだ本編はその片鱗を覗かせているに過ぎないのだろう。なんとなく、トマス・ハリスにはまだまだ、レクターについて語る意志があるのではないか、そんな風に思わせる内容であった。それに付き合うも付き合わないも、読者それぞれの意志次第であることは言うまでもないが。

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