『ジゴロ・イン・ニューヨーク』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁の看板。

原題:“Fading Gigolo” / 監督&脚本:ジョン・タトゥーロ / 製作:ジェフリー・クサマ=ヒント、ビル・ブロック、ポール・ハントン / 製作総指揮:アントン・レッシン、サーシャ・シャピロ、バート・ウォーカー、スコット・ファーガソン / 撮影監督:マルコ・ポンテコルヴォ / プロダクション・デザイナー:レスター・コーエン / 編集:シモーナ・パッジ / 衣装:ドナ・ザコウスカ / キャスティング:トッド・テイラー / 出演:ジョン・タトゥーロウディ・アレンヴァネッサ・パラディリーヴ・シュレイバーシャロン・ストーン、ソフィア・ヴェルガラ、トーニャ・ピンキンス、ボブ・バラバン / アンティドート・フィルム製作 / 配給:GAGA

2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里 / PG12

2014年7月11日日本公開

公式サイト : http://gigolo.gaga.ne.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2014/07/11)



[粗筋]

 祖父から三代続けて営んできた古本店を閉めるその日、もと経営者となったマレー(ウディ・アレン)はもと従業員で親友のフィオラヴァンテ(ジョン・タトゥーロ)に妙な話を持ちかけてきた。先日、マレーが受診した皮膚科のパーカー医師が、レズであることを打ち明け、しかし最近、パートナーとの関係に男性を採り入れたい、と考えている、と言ったという。マレーは彼女に、都合のいい男がいるが、1000ドルは必要だ、と仄めかしたが、パーカー医師はそれでも構わない、と受け入れる。このとき、マレーの頭の中にあったのは、フィオラヴァンテのことだった。

 要するにマレーは、フィオラヴァンテに男娼の真似事をしろ、というのである。当初フィオラヴァンテは聞き流すが、困ったことにパーカー医師のほうが乗り気になっていた。折しも店を閉めたばかりで収入源のないマレーは、パーカー医師からの催促に、正式に約束を取り付けてしまう。

 こうして渋々ながら、フィオラヴァンテはパーカー医師のもとへと赴いた。嫌々、とは言い条、もともとフィオラヴァンテは寡黙だが洒脱、マレーとの付き合いで知識も豊富であり、何より精力は旺盛だった。パーカー医師は“お試し”での面会に大変満足し、フィオラヴァンテへの支払に色をつけた。

 ふたりはヴァージル&ボンゴという営業用の名前を作り、“ボンゴ”を名乗ったマレーは、“ポン引き”としての営業を開始した。高級なジゴロであるヴァージルことフィオラヴァンテへの報酬は高額だったが、恵まれた暮らしをしながら孤独や欲求不満を抱えた女性達は彼のサーヴィスに不満を漏らすことはなかった。

 次第に口コミでの客もつくようになるなか、マレーは風変わりな客をフィオラヴァンテのもとへと連れてきた。何とそれは、厳格なユダヤ教のラビの未亡人である。困惑しながらも“ヴァージル”のアパートを訪ねてきたその未亡人アヴィガル(ヴァネッサ・パラディ)は、だが彼に裸の背中を晒し、マッサージを受けている最中に、涙を流し始めるのだった……

[感想]

 監督と主演を兼ねたジョン・タトゥーロは、日本ではあまり馴染みのない名前かも知れないが、大作で味のある脇役をよく演じていて、顔を見てピンと来るひとは多いはずだ。かくいう私も、その顔には馴染みがあるのだが、監督としてどんな作品を撮っているのか、はまったく知らない。ただ、いい俳優はなかなか味のある作品を撮るから、という程度で本篇に期待していたのだが、びっくりするくらい、ウディ・アレン風味の作品だった。

 とにかく、主人公の相棒として登場するウディ・アレンの作品に対する影響力が半端ではない。近年は監督に専念することの多かったウディだが、もともとは自らの脚本を演じ、自ら演出する、というタイプの監督だった。彼の撮る映画は、私の知る限り彼が劇中で演じる人物の雰囲気がそのまんま作品世界となったかのような仕上がりだったが、久々に俳優としてのみ関わった本篇においても、さながら自身が監督であるかのような支配力を示している。手触りはほとんどウディ映画そのものだ。果たして、脚本も手懸けた監督は予めウディ・アレンの起用を想定してこんな作品を用意したのか、それともあまりにも彼を意識した内容になったために、敢えてこの役を打診したのか。

 しかしこの作品、粗筋から抱くイメージだと、風采の上がらない男達が無理矢理にジゴロを気取る、という印象だが、実際に観ると、ジョン・タトゥーロ演じるフィオラヴァンテにははじめからその素質が充分に備わっていた、といった描き方をしている。確かに初登場のときは冴えない雰囲気だが、いざその機に臨むと、きちんと身なりを整え、女性に接する際は寡黙ながらもウイットをたたえたやり取りで相手をリラックスさせる。そのうえ精力も旺盛と来る――マレーは友人だからこそ、彼のそういう素質に気づいて、新しいシチュエーションを求めた女医に紹介する、ということをしたのかも知れない。描写としては納得がいくが、しかしダメ男が背伸びをしてジゴロを気取る、といった筋書きを期待していると、だいぶ裏切られた気分を味わうことは指摘しておいたほうが良さそうだ。

“ジゴロ”という、ひとによっては不愉快な印象を与えかねない題材を用いているにも拘わらず、本篇の手触りは終始快い。フィオラヴァンテたちの行動はある意味で成功した女性達からの“搾取”だが、しかし女性達は彼らのサーヴィスにみな納得していることが窺える。最初は誇大広告のように映るが、実際のところ、前述したようにフィオラヴァンテには女性、特に社会的に自立した女性達を楽しませる才能が確かにある。しかもその言動は紳士的で、きちんと礼節をわきまえている。女性側の割り切った接し方ともあいまって、まさに大人なりのアヴァンチュールを楽しんでいる、という風情なのだ。互いに承知のうえでの遊び、というムードに嫌味がない……まあ、どちらも“恵まれた人種”であることに違いはないので、そこがどうしても受けつけないひとはいるかも知れないけれど。

 この大人であるが故の節度は、本気のロマンスに発展しても変わらない。フィオラヴァンテとアヴィガルの慎重な距離の取り方に、マレーの粋な気遣い、更にはフィオラヴァンテの恋心に気付いた顧客たちの反応まで、すべてに落ち着きがある。現実にはもっとドロドロしてもおかしくないし、この背景だと更に面倒な事態も想定できるが、それを程よくおさえ、ユーモアの枠内に留めているから、本篇は居心地がいい。

 惜しむらくは、このユニークな発想の個性的な発展が、あまりにさらっと行われ、ジゴロとしての仕事ぶりやロマンスの展開がちょっと少ない印象を与えていることである。あまりクドクドと描き続けるのもいいことではないが、折角の魅力的な発想、趣向なのだから、もうちょっと盛り込んで欲しかった。

 本篇の心地好さは、ラストまで一貫している。いささか苦い出来事もあるが、それを受け止める姿勢も思慮に富んだものだし、そのあとに訪れるラストシーンもまた洒落たものだ。ウディ・アレン監督作品に似たムードとは言い条、本篇にはウディ作品にあるクセが薄めだが、それ故に却って親しみやすい仕上がりにもなっている。

 大人のためのファンタジー、と呼ぶべきだろう。緊迫した場面もなく、少しリラックスした気分になるには最適……と言いたいところだが、ひとによっては肌に合わず苛立つ可能性もありうるので、とりあえずウディ・アレン作品に馴染んでいる、とか、自分と(色々な意味で)住む世界が違うひとびとの“娯楽”に接して無意味に腹が立たない、とか受け入れられるひとならまず大丈夫、というぐらいは添えておいてもいいかも知れない。

関連作品:

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コメント

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