『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』

バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト 【デジタルリマスター版】 [DVD]

原題:“Bad Lieutenant” / 監督:アベルフェラーラ / 脚本:ゾーイ・ルンド、アベルフェラーラ、ヴィクター・アルゴ、ポール・カルデロン / 製作:エドワード・R・プレスマン、メアリー・ケイン / 製作総指揮:パトリック・ワックスバーガー、ロナ・B・ウォレス / 撮影監督:ケン・ケルシュ / プロダクション・デザイナー:チャールズ・ラゴーラ / 編集:アンソニー・レドマン / 衣装:デヴィッド・サワリン / 音楽:ジョー・デリア / 出演:ハーヴェイ・カイテル、ゾーイ・ルンド、フランキー・ソーン、ヴィクター・アルゴ、ポール・カルデロン、レナード・トーマス、ロビン・バロウズ、ヴィンセント・ラレスカ、ポール・ヒップ、ペギー・ゴームリー、エディー・ダニエルズ、ビアンカ・ハンター / 配給:ヘラルド / 映像ソフト発売元:IMAGICA TV

1992年アメリカ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:菊地浩司

1994年6月25日日本公開

2011年4月28日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2011/09/09)



[粗筋]

 チャンピオンシップ・シリーズはドジャーズがメッツを圧倒していた。開始から破竹の3連勝、あと1勝でワールドシリーズに進出する。

 ニューヨーク市警の警部補(ハーヴェイ・カイテル)は、この機に金儲けを目論んだ。同僚たちには、今度こそメッツが勝つ、と吹きこんでおいて、自分はドジャーズの勝利に大金を注ぎ込む。楽勝の賭けだ、と思っていた。

 だが案に相違して、4試合目でドジャーズは大敗を喫する。いつもより過剰にドラッグを決め、仕事に出る警部補だったが、当然のように気は立っていた。

 折しも、若く美しい尼僧(フランキー・ソーン)が教会に押し入った若者たちに強姦される、という事件が起きた。ギャンブルにドラッグ、汚職と悪徳を重ねている警部補も、れっきとしたカトリックの信者であるために、穢された尼僧の姿と、荒らされた祭壇の惨たらしい有様を前に、動揺を顕わにする。

 そして翌る日、警部補の立場は更に悪化した。一発逆転を目論見、ふたたびドジャーズに倍額を注ぎ込んだ警部補だったが、ドジャーズはふたたび敗北を喫する。

 なおも強気に、手許にない大金を張る警部補だったが、尼僧のレイプ事件に5万ドルの賞金がかけられたことを知ると、並行して犯人捜しに臨んだ……

[感想]

 いわゆる汚職警官の物語など、最近はありふれた感がある――喜ばしいことではないが、犯罪捜査の最前線にいる警察官は、それだけ誘惑に晒され、悪徳に引き込まれかねない危険な領域にいる。正義感溢れる人物であっても、状況によっては底無し沼に足を踏み入れる可能性はあるのだ。

 本篇の主人公である警部補が善人である、とは思えない――冒頭における子供との接し方を見ていると、実のところどの程度家庭に気を遣っているのか解らないし、そもそもどのように彼が犯罪に手を染めていったのか、については一切触れていないので、やむを得ず犯罪に手を染めたのか、或いは金に目がくらんで汚職の泥沼に嵌ってしまったのか、判断は出来ない。

 ただ、まさに日常として、警官が触法行為に及んでいる様は、観ていて慄然とする。まるで呼吸をするかのように、チャンピオンシップの結果で賭けをし、同僚たちにメッツを勧めながら自分は優勢のドジャーズに大金を賭ける。売人から薬物を分けてもらい、それを薄汚れた溜まり場で味わい……。

 こうした状況が、彼にとっては日常であることを窺わせる一方で、敬虔とは言い難いにせよ、いちおうはクリスチャンであることが、物語にとって大きな鍵となっていく。尼僧がレイプされる、という事件が起こると、検査のために全裸になった彼女を覗き見て劣情を掻き立てられ、汚い方法で欲望を解消するかと思えば、間もなく行われる娘の聖体拝領式には出席する。

 捜査という形で、自らの信仰の領域に踏み込む一方、嘘までついて有利に運ぼうとした賭けが悪い方へと悪い方へと転がっていくことで、彼は急速に平常心を失っていく。同僚に向かって、レイプ事件の加害者と同様に被害者をも罵り、薬物を嗜む仲間である女の前でしゃくり上げる姿の、どうしようもない弱々しさは、善人ではないにせよ、悪党ではなかった彼の心の揺れが滲み出すかのようだ。

 一般的な刑事ドラマ、警察の仕事ぶりを題材とした作品にあるような、謎解き的な趣向は本篇には一切存在しない、と言っていい。逃げた暴行犯を探す上で何か工夫をしたわけでもなく、非常に突然のきっかけで発見に至る。いっそ御都合主義的にも映る筋書きは、刑事ドラマとしてはどうも物足りない。

 本篇は決して刑事ドラマではないのだ。どうしようもない泥沼に嵌り、そこから抜け出したい、という想いを抱きながらもきっかけを失っている男の哀れさを、彼の信仰を軸に描き出した物語なのである。

 本篇の終盤の、夢と現実とのあわいで繰り広げられるような展開を見たとき、私が思い浮かべたのは奇妙なことに『ベン・ハー』であり、『汚れなき悪戯』だった――主人公である警部補の行動は、そのどちらの登場人物ともほとんど通じるところがないが、ある種の“体験”が最後の行いに結びついている、という意味では、このどうしようもなく穢された世界で彼がその理想に触れる、唯一の機会であり方法だった、と捉えると、根っこでは結びついているように思える。

 恐らく、本篇の主人公は、最後の行動で自分が救われるなどとは微塵も思わなかっただろうし、社会のためになった、などとも考えなかっただろう。ただ、ああすることでしか、もはや血みどろになった自分の心を少しでも癒す術がなかったのだ。

 どうしようもなく哀しく、救いのないドラマである。だが、ごく普通の、善悪も関係なく決して大望を抱いていない平凡な男が陥るかも知れない欲望の深みをまざまざと、生々しく描き出した本篇には、異様な魅力が漲っている。大スターがいるわけでもなく、絵的にも地味で、異様な物語にも拘わらず惹きつけられる愛好家がおり、ニコラス・ケイジ主演によるリメイク作と時期を合わせてではあるが、リマスター版という形でリリースされたのも頷ける――それだけの牽引力が、本篇には備わっているのだ。

関連作品:

タクシードライバー

トレーニング・デイ

あるいは裏切りという名の犬

フェイク シティ ある男のルール

汚れなき悪戯

ベン・ハー

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