『パラノーマン ブライス・ホローの謎(3D・字幕)』

TOHOシネマズみゆき座、階段上に掲示されたポスター。

原題:“ParaNorman” / 監督:クリス・バトラー、サム・フェル / 脚本:クリス・バトラー / 製作:アリアンヌ・サトナー、トラヴィス・ナイト / 主任アニメーター:トラヴィス・ナイト、ジェフ・ライリー、ペイトン・カーティス / 撮影監督:トリスタン・オリヴァー / プロダクション・デザイナー:ネルソン・ロウリー / 編集:クリストファー・マーリー,A.C.E. / 音楽:ジョン・ブライオン / 出演:コディ・スミット=マクフィー、タッカー・アルブリッチ、アナ・ケンドリックケイシー・アフレッククリストファー・ミンツ=プラッセレスリー・マンジョン・グッドマン、エレイン・ストリッチ、ジェフ・ガーリン、バーナード・ヒルジョデル・フェルランド / 配給:東宝東和

2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里

2013年3月29日日本公開

公式サイト : http://paranorman.jp/

TOHOシネマズみゆき座にて初見(2013/04/10)



[粗筋]

 ノーマン・バブコック(コディ・スミット=マクフィー)には、彷徨う霊の姿が見える。彼にとってはそれが普通の光景だったが、周りの人間にはまったく理解されなかった。リヴィングにおばあちゃん(エレイン・ストリッチ)がいる、と言っても、家族ですらろくに耳を傾けようとしない。学校でも当然のように嫌悪され、アルヴィン(クリストファー・ミンツ≒プラッセ)からはしょっちゅういじめられている。唯一話しかけるのは、デブのせいでやはり同様にいじめられているニール(タッカー・アルブリッチ)だけだった。

 しかし、ある日の帰り道、そんなノーマンに薄汚い老人が声をかけた。その老人、プレンダーガスト氏(ジョン・グッドマン)はノーマンにとって大叔父に当たる人物だが、オカルトに傾倒しているために爪弾きにされ、ノーマンもそれまでろくに逢ったことはなかった。何か話をしようとするプレンダーガスト氏だったが、ニールに追い払われ、ほうほうの体で去っていく。

 ノーマンたちの通う学校では、来たる演劇会で、彼らの町ブライス・ホローの来歴を題材にするべく、先生が生徒たちに稽古をつけていた。ブライス・ホローはかつて魔女狩りが行われ、魔女に関わった者がゾンビになってしまった、という伝説があり、ノーマンたちはその再現を演じさせられていた。だが稽古のときも、本番の時でさえも、ノーマンは奇妙な幻覚を見て騒ぎ、芝居を台無しにしてしまう。

 そんな矢先に、ノーマンはプレンダーガスト氏と再会する。大叔父さんは、幽霊になっていた――病がもとで、急死してしまったらしい。幽体のプレンダーガスト氏はノーマンに、ある使命を受け継いで欲しい、と懇願する。なんでも、町には魔女がある“呪い”がかけられており、それを抑えるために、魔女の墓のそばで本を朗読せねばならないのだという。ノーマンは半信半疑だったが、嫌々頷いた途端に満足して大叔父さんが昇天してしまい、やむを得ず、要領が解らないままに使命を果たすため、墓地へと赴いた……

[感想]

 アニメだからと言って子供向けとは限らない……なんてことは日本人相手に今さら言う必要はない、と思うのだが、アメリカからやって来た、全米公開級の、しかもアカデミー賞候補作品、となるとなんとなく子供向きじゃないのかしらん、と考えてしまう。もちろん、アカデミー賞にノミネートされるレベルだともはや“子供だけが対象だから”と安易な姿勢で製作されたものは弾かれ、大人でも納得のいく作品になっていることがほとんどだが、それでもどちらかと言えば低年齢層を観客のメインに想定している、という作品が多いので、たいていはそのつもりで観てしまいがちだ。

 本篇が、子供をまったく顧慮していない作品だ、という論を振りかざしたいわけではない。むしろ、これも基本は子供が観ることを念頭に置いている。しかし、作品を支える主題、そこへと導く手筋、随所に鏤められたネタなど、いずれも恐らく子供たちにはすぐに汲み取れないだろう。

 たとえば序盤、遊びに誘いに来たニールの姿を見て、ノーマンが驚くシーンがある。このくだり、ホラー映画にある程度親しんでいるひとであれば何故ノーマンが驚いたのか一目瞭然だが、まだ若い、或いは旧作に戻ってまでホラー映画を楽しんでいるわけではないひとだと、理解できない可能性がある――趣向としては“ど”がつくくらい定番だが、少なくともまったく子供向けを意図しているなら、何らかの説明があって然るべきシチュエーションだ。プロローグにあたる部分で、幽霊になったグランマにホラー映画のシーンの意味を解説するくだりもそうだし、もっと言えば、本篇の本質的な趣向自体が、ホラー映画に親しんでいるひとほど驚き、興がる趣向になっているのは、製作者の目配せはそうしたマニアックなひとに向けられている証左だろう。

 しかも、そうして描き出される本篇の主題は、端的に言えば“魔女狩り”なのだ。終盤の興奮を削がないためにはあまり言及すべきではないのだが、しかしこの主題が、現代過去、老若男女を問わず、人間が陥りがちな傾向を見事に包括する。本篇を観ていれば、それは知識の乏しい子供でも明白に解るだろうが、“魔女狩り”というものの性質を知っている大人なら、なおさらに感銘を受けるはずだ。

 この主題、クライマックスのカタルシスに導く手管が、本篇は非常に綺麗に決まっている。一見、子供向けらしく予定調和を狙っているかのようだが、しかし細部は意識的にお定まりの線を外している。その微妙に逸らした線が、しかし最終的にきっちり、辿り着くべき場所に戻っていくからこそ、本篇は興奮と感動を呼ぶ。幼くとも、そのことに無自覚でも同様だが、無自覚であっても一般的な話の流れを直感的に理解しているレベルであれば、より強い印象を受ける作りなのだ。

 それはそもそも、ストップモーション・アニメとしてはいささか薄気味の悪いデザインにも言える――と断じたいところだが、ティム・バートン監督作品の例を引くまでもなく、不気味と感じる意匠が主題や動き、台詞のやり取りでいくらでもキュートに、魅力的になるものだ。本篇はそこに、ホラー映画で描かれる“フリーク”に対する愛情があるからこそ、薄気味の悪いものを薄気味悪いまま描いて、魅力を発揮させている。

 キャラクター同士の会話に、ふんだんにちりばめたユーモアも、いい具合に愛嬌を添えている。巧いのは、緩急をわきまえたやり取りで笑いを演出するばかりでなく、皮肉も随所に効いていることだ。序盤で偉そうなことを言った人物がのちのち間の抜けた行動に及んだり、エピローグでにわかに変節するあたり、醜悪とも言えるのだが、そこが笑いになることこそ本篇の組み立てが優れていることを証明している。

 締め括りもまた巧い。ハッピーエンドではあるが、人生経験を積んだあとなら、何もかも丸く収まる、と安易に飲み込めないだろう。それを承知で、序盤の描写を踏まえた、日常のひとコマをエピローグとして添えている。華々しくはない、けれどこの快い匙加減こそ、成熟した本質を持つ本篇に相応しい。

 何にせよ、これは子供が観てももちろん面白い作品だろうが、本当に観ておくべきは、ホラー映画を愛して止まない大人達だ。そして、もし子供の頃に本篇に接することが出来たなら、きっと将来もういちど、本篇のより深い本質に触れることが出来る、そんな奥行きのある作品なのである。

関連作品:

コララインとボタンの魔女 3D

ティム・バートンのコープスブライド

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