『幕末太陽傳 デジタル修復版』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン2前に掲示された案内ポスター。 幕末太陽傳 デジタル修復版 Blu-ray プレミアム・エディション

監督:川島雄三 / 脚本:田中啓一川島雄三今村昌平 / 製作:山本武 / 撮影監督:高村倉太郎 / 照明:大西美津男 / 美術:中村公彦、千葉一彦 / 編集:中村正 / 特殊撮影:日活特殊技術部 / 音楽:黛敏郎 / 助監督:今村昌平 / 出演:フランキー堺左幸子南田洋子石原裕次郎芦川いづみ市村俊幸金子信雄山岡久乃梅野泰靖、織田政雄、岡田眞澄高原駿雄、青木富夫、峰三平、菅井きん小沢昭一、植村謙二郎、河野秋武西村晃熊倉一雄、三島謙、殿山泰司、加藤博司、二谷英明小林旭関弘美武藤章生、徳高渓介、秋津礼二、宮部昭夫、河上信夫、山田禅二、井上昭文、榎木兵衛、井東柳晴、小泉郁之助、福田トヨ、新井麗子、竹内洋子、芝あをみ、清水千代子、高山千草 / 配給&映像ソフト発売元:日活

1957年日本作品 / 上映時間:1時間50分

1957年7月14日日本公開

2011年12月23日デジタル修復版日本公開

2012年6月2日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

第2回新・午前十時の映画祭(2014/04/05〜2015/03/20開催)上映作品

公式サイト : http://www.nikkatsu.com/bakumatsu/

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2014/06/02)



[粗筋]

 時は幕末、ところは品川宿

 尊皇攘夷とかまびすしい世間の風は遊女屋・相模屋にも吹き込み、その一室には高杉晋作(石原裕次郎)らが潜伏して攘夷運動に燃えていたが、経営者や遊女たちにとっては厄介者に過ぎない。連日訪れる客たちをもてなし、支払の滞った者からは容赦なく取り立てる、騒々しくも変わり映えのない日常が繰り返されている。

 そこへ飄然と登楼したのは、佐平次(フランキー堺)を筆頭とする一団。周囲の不安をよそに景気よく女郎を呼び酒を振る舞わせた佐平次だったが、他の者が発ち、ひとり居残った佐平次は、二日も粘った挙句に、一銭も持ち合わせがないことを白状した。

 かつては番頭、いまは女将のお辰(山岡久乃)の婿となり経営者に収まっている伝兵衛(金子信雄)は、支払の出来ない佐平次を行燈部屋に放り込み、ただ働きさせることにする。

 しかし佐平次の本領はここからだった。弁が立ち万事要領のいい佐平次は、番頭の善八(織田政雄)
を差し置いて客の前にしゃしゃり出て、率先して客の御用聞きや配膳に駆け回る。たとえば相模屋一の遊女であるこはる(南田洋子)のもとに親子が別々に通い詰めており、こはるがそれぞれに誓願書をしたためていたことが発覚して騒動になると、自分もこはると縁があるように装って刃物を振りかざし、そのあいだにこはるを逃がす一方で、親子の気勢を削いでその場を収めてしまった。払いの滞っている高杉たちのために立ち回り、借金を一気に完済させるという芸当もやってのけ、気づけば伝部屋やお辰も、この“居残り佐平次”の才覚を認めざるを得なくなる。

 年季が明けたあとで所帯を作るならこの男しかいない、といつしかこはるや、彼女といちばんを競い合っていたおそめ(左幸子)を本気にさせてしまった佐平次だが、しかし何故か当人にはその気がないらしい。果たしてこの男、いったい何を考えているのか……?

[感想]

 日活が100周年を記念して、わざわざ選んでデジタル修復を施した作品である。フランキー堺南田洋子、そして石原裕次郎と、いま見ても解るほどのスター揃いで製作されていたことも含め、修復版公開時から気になっていた。2014年度から日本映画もラインナップされるようになった新・午前十時の映画祭にさっそく選ばれたので、ようやく鑑賞することが出来た。

 だいぶ丁寧に修復されているのが解る。モノクロながら、映像は実に鮮明になっていて、長い歳月を経てきたフィルムにある、味はあるけれどしばしばストレスも味わうような傷は一切見られない。ただ、音声はところどころ聞き取りにくい感があるのは否めない。恐らく意識的に当時の言葉遣いの持つ雰囲気をなるべく正しく再現しようとしたのだろう、あまり馴染みのない表現が多用されているせいもあるのか、全般に台詞が聴き取りづらい傾向にある。そのうえ、当時のスターを多く起用したこともあり極めて登場人物が多いが、時を経たいま、決して顔に馴染みがあるわけではないので、序盤は見分けるのが少々難しい。さすがに、現代の観客が何の知識もなく接して、即座に惹きつけられる内容とは言い切れないようだ。

 しかし、こうしたハードルを乗り越えられるなら、確かに一見の価値がある名作である。

 最初はどういう話が展開されるのかも解らない。品川宿についての説明があったあと、遊女屋・相模屋を行き来するひとびとの様子が細かに点綴されていく。しのぎを削る遊女たちがいるかと思えば、その遊女にいいように振り回される顧客がおり、そんな彼らの身勝手な振る舞いに下働きが右往左往する。そんななかで、お大尽の如く遊蕩に耽っていた佐平次の存在が、彼が無一文である、という事実が発覚したあたりで急速にクローズアップされる。

 群像劇めいた序盤は、お大尽めいた客が“居残り佐平次”として姿を現すと、途端に彼の活躍を彩るモチーフに変貌する。すべてが一気に収束していくようなカタルシスはないが、しかし佐平次の活躍を引き立てる材料として活かされていくさまには不思議な爽快感がある。それぞれがかなり悪辣なことをしているうえに、佐平次自身もかなり金にがめつい言動をちらつかせるが、それは翻って、客の前以外では決して己を偽らない潔さとも言える。だからこそ本篇は、当時の闇を随所に覗かせながらも清々しいのだ。

 本篇の登場人物はみな陽気で滑稽に映るが、しかし端々から垣間見えるその背景は明るいものとは言い難い。遊女たちが基本的に借金の形に売り飛ばされた身であり、年季が明けるまでは囚われ続けるわけで、彼女たちの貪欲さはそういうところから来ているものだということも窺える。かと思うと、遊女たちの中には片眼に腫れ物が出来ている者がおり、一見立場を楽しんでいるふうだが、いったいどういう境遇なのか、という興味を惹く要素もちりばめられている。今まさに借金の形に売られようとしていることも知らずに健気に勤める娘がいれば、遊女屋の息子だからと放蕩三昧に耽る男もおり、この店の周囲に様々な人生が織りこまれている。御時世柄、そこに“勤皇の志士”も取り込まれているが、彼らのある意味での“脳天気さ”を遊女屋のひとびとが揶揄しているのも象徴的だ。時代の変化とは無縁に、ひとは自分のことで精一杯なのである。

 それはあれほど快活な立ち居振る舞いで登場人物も観客も魅せる佐平次でさえ同様だ。粗筋では仄めかしたものの、ここであえて暴露してしまうと、最後まで彼の真意は明かされない。だが、あちこちの言動や情報を解釈していくと、実に虚無的な背景が透け見えてくる。事実、終盤で見せる意外なほど雑な対応や、そこで覗かせる表情には、哀しみが滲んでいるようにも映るのだ。

 しかし、それでも最後にはふたたび飄々とした振る舞いを見せる。あれだけ遊蕩に耽ったあとで、無一文だ、と白状したときの人を食った笑顔で、ひとびとの前から遠ざかっていく。作中、このあとで時代が激変することを悟っていた佐平次のその態度はやけっぱちのようにも映るが、しかしどれほど周囲が変化しようと、したたかに生き延びようとするひとびとの逞しさも感じられるのである。

 作中、誰よりも(あの石原裕次郎が演じた高杉晋作よりも)魅力的なのが佐平次であるのは間違いないが、彼のしたたかさ、逞しさはしかし、本篇に登場する人物の多くも持っているものだ。時代がどのように動こうと、振り回されていく己を憐れみつつも、それでも何とかみんな生きていく。そんな当たり前の営みの力強さを、本篇は時代の空気と共に克明に描き出している。

 映像は白黒だし、なまじ鮮明になっただけに、メイクや特殊技術の拙さもところどころで垣間見える。しかし、そんな不利を軽々と乗り越えていく勢いが、未だに本篇には備わっている。デジタルで修復を施して残していくに相応しい、と判断されたのも宜なるかな、だ。

関連作品:

死の十字路』/『仁義なき戦い』/『TRICK −劇場版−』/『ゴジラ(1954)

濡れ髪三度笠』/『助太刀屋助六』/『竜馬の妻とその夫と愛人』/『たそがれ清兵衛』/『武士の家計簿

コメント

タイトルとURLをコピーしました